忘れじのゆくすゑまではかたければ
今日をかぎりのいのちともかな
どんなに忘れないとおっしゃっても、将来のことはあてにしがたいので、そうおっしゃってくださる今日が最後の命であってほしいものです。
『百人一首』54番として採られている和歌で、よく知られている。しかし、儀同三司母って誰?
いままでふわふわと断片的な知識として存在していた数々が今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」で凝集作用をおこして、ネットワークを形成するようになった(ことは以前に書いた)。
儀同三司(ぎどうさんし)というのは、藤原伊周(これちか)のことである。劇中三浦翔平が演じている。前回の「光る君へ」「放たれた矢」で、陣の定めのあとで、道長に暴言を吐いて恥をかいた人物である。中関白(なかのかんぱく)藤原道隆(井浦新)を父とし、親の七光りで弱冠21歳で内大臣に昇進した。
儀同三司母(ぎどうさんしのはは)は、伊周の母であるから、つまり、道隆の妻である高階貴子(たかしなのきし)。劇中、板谷由夏が演じている。
貴子は、道隆との間に、伊周のほか、隆家(竜星涼)、定子(高畑充希)を産んだ。定子は、一条天皇(塩野瑛久)の中宮である。つまり、清少納言がつかえていた、あの中宮定子である。なお、隆家は中納言となっている。
かくて名前のとおり隆盛をほこった中関白家であったが、道隆は早逝してしまった。伊周の昇進は親の七光りによるものでったので、当然のことながら没落する運命であった。
伊周のみならず、隆家、さらには定子までが没落してしまう。そのきっかけとなったのが前記ドラマのタイトル「放たれた矢」である(儀同三司という官名もその結果である。)。矢を放ったのは弟の隆家だった。次回以降を楽しみにしたい。
さて、儀同三司母の歌であるが、こうした中関白家の哀しい歴史にかんがみると、本来の意味合いと別の意味合いが浮かんでくる。百人一首の撰者である定家は、それも踏まえて本歌を撰んだのだろうとされている。
※現代語訳等は『ビギナーズクラッシック日本の古典 百人一首(全)』谷知子編によった。
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