きのうの「光る君へ」も手に汗にぎった。花山院に矢を放った伊周と隆家は一条天皇の怒りをかい、それぞれ大宰府と出雲へ流された。儀同三司母である高階貴子の悲嘆するさまがあわれ。儀同三司(正確には政界に復帰したあとの呼称)・伊周が大宰府へ来たことがあるとは知らなんだ。伊周狼狽の余波を受けて、中宮定子出家・・・。
さてきょうは青・少納言って誰?(3)なのだけれども、逢坂の関の話のつづき。逢坂の関には、蝉丸神社だけではなく、かっては関寺があった。その役牛が迦葉仏の化現であるとの夢告があり、道長・倫子夫婦も結縁をもとめてきたという。
花の色はうつりにけりないたづらに
わが身よにふるながめせしまに 小野小町
美しかった花の色はすっかり色あせてしまったなあ。長雨が降り続く間に。私も、空しくこの世で年をとってしまった。ぼんやりと物思いにふけっていた間に。
百人一首9番。この歌が人口に膾炙したせいか、絶世の美女だった小町の晩年の零落というのが庶民の関心の的になっている。そして文芸のテーマにもなっている。謡曲にも、それに取材した『卒塔婆小町』や『関寺小町』がある。『関寺小町』の関寺は、この関寺とされる。
逢坂の関にちなむ百人一首の和歌をもう一首。
名にしおはば逢坂山のさねかづら
人にしられて来るよしもがな 三条右大臣
逢坂山のさねかずらが、「逢う」「さ寝」という、その名のとおりであるならば、他の人に知られないで、たぐり寄せるように、あなたのところに尋ねて来る手立てがほしい。
百人一首25番。三条右大臣は藤原定方。百人一首のなかにそれに触れた和歌が三首もあるほど、逢坂の関は歌人に人気のスポットだったのである。
※現代語訳等は『ビギナーズクラッシック日本の古典 百人一首(全)』谷知子編によった。
0 件のコメント:
コメントを投稿