2024年5月23日木曜日

公任って誰?

 

 滝の音は絶えて久しくなりぬれど
           名こそ流れてなほ聞こえけれ  大納言公任

 滝の水音は、絶えてから長い年月がたったけれども、その名声は今も世間に流れ、聞こえてくることよ。

百人一首55番、大納言公任の和歌。公任(きんとう。町田啓太)は、きのう紹介した行成(渡辺大知)や、源俊賢(本田大輔)、斉信(金田哲)とともに、道長政権を支えた四納言のひとり。つまり、実資(ロバート秋山)に、ゴマスリめと揶揄されていたひとり。

長保元年(999年)9月、道長は公任たちをひきつれて、大覚寺滝殿や大井川へ、弁当持参でピクニック(もちろん、単なるピクニックではない。)にでかけた。


これしかなかったので、変な男性が写っているが失礼。2011年10月京都大覚寺に行ったときの写真。左肩の後ろの立て札に「滝の音は・・・」と歌が書いてある。右肩の後ろが、公任の歌にでてくる滝の石組み。

嵯峨天皇の離宮がかってあったものの、道長や公任が訪れた当時は遺構のみ。遺構のみなのだけれども、嵯峨天皇の御代の栄光はいまも輝いていますねという歌意。もちろん、嵯峨政権と道長政権をダブらせて、道長をよいしょしているのだ。




 公任は和歌のほか、漢詩、管弦にもすぐれ、三船の才と呼ばれる。『大鏡』に

 ひととせ、入道殿(道長)の、大井河に逍遙せさせ給ひしに、作文の船、管弦の船、和歌の船と分かせ給ひて、その道にたへなる人々を乗せさせ給ひしに、
 この大納言殿(公任)の参り給へるを、入道殿、「かの大納言、いづれの船にか乗らるべき」とのたまへば、
 (公任)「和歌の船に乗り侍らむ」とのたまひて、詠み給へるぞかし。
 をぐら山あらしの風のさむければもみぢの錦きぬ人ぞなき
申しうけ給へるかひありてあそばしたりな。
 御みづからものたまふなるは、(公任)「作文の船にぞ乗るべかりける。さて、かばかりの詩を作りたらましかば、名のあがらむこともまさりなまし。口惜しかりけるわざかな。さても殿(道長)の、『いづれにと思ふ』とのたまわせしになむ、我ながら心おごりせられし」とのたまふなる。
 一事のすぐるるだにあるに、かくいづれの道にも抜け出で給ひけむは、古も侍らぬことなり。

とある。
かくて公任の才は、名こそ流れていまもなほ聞こえけれ。

なお、写真は大井川の右岸・嵐山のもみぢの錦。をぐら山は反対側・右岸。

※現代語訳等は『ビギナーズクラッシック日本の古典 百人一首(全)』谷知子編によった。

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