https://www.nhk.jp/p/rekishi-tantei/ts/VR22V15XWL/episode/te/6XVLZRRX8Q/
「光る君へ」を視聴していて、発音がちがうなぁと思ったのはぼくだけではあるまい。気になるのは「清・少納言」である。
いままでは「せいしょうなごん」とダラッと読んでいた。それがドラマでは「せい・しょうなごん」と発音している。そうなのか?
「清・少納言」とは、清原氏の少納言という意味だ。それならば、たしかに「せい・しょうなごん」なのだろう。
ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ
末の松山波こさじとは
約束しましたよね。お互いに涙のたまった袖をしぼりながら、あの末の松山を波が越えることがないように、私たちの愛も決して将来変わることがないのを(それなのに、あなたは変わってしまった)。
百人一首42番、清原元輔の作。元輔は清少納言の父である。劇中、大森博史が演じていた。紫式部の父・藤原為時とは学者仲間という感じ。
この歌は本歌取りでつくられている。本歌はこれ。
君をおきてあだし心をわが持たば
末の松山波も越えなむ 東歌 古今集
もしあなたをさしおいて浮気心を私が持ったならば、あの末の松山を波が越えてしまうだろう
末の松山は宮城県多賀城市にある。仙台駅から多賀城駅まで電車で20分ほど、駅から歩いて10分ほどである。
多賀城市には奈良時代から東北経営の中心であった多賀城がある。九州の大宰府と類似の機能を担っていた。ために両市は姉妹都市の関係にある。
末の松山は、名にし負う、立派な松がはえている。すこし丘になっている。ちかくには、やはり百人一首92番二条院讃岐の歌の歌枕である沖の石もある。
古今集が編纂されたのは905年。その30数年まえである貞観11年(869年)には大地震と大津波がこの地方を襲ったものの、末の松山は被害を免れたという。それから、大津波でも波が越さない地として有名になったらしい。
末の松山は東日本大震災の大津波のときにも波が越さなかったらしい。それほどの地をひきあいにだして愛を誓うことこそ末おそろしい。劇的効果としては元輔の和歌のほうがすぐれているかもしれないが、東歌程度にしておくのが本当なのではなかろうか。
https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20210308-OYT8T50014/
※現代語訳等は『ビギナーズクラッシック日本の古典 百人一首(全)』谷知子編によった。
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