きのう書いたように、ドラマでは渡辺大知が演じ、清少納言が「夜をこめて」の和歌を送った(そのことを『枕草子』に書いた)相手であり、道長政治を支えた能吏・四納言の一人であり、能書家で三蹟の一人であり、宮廷日記『権記』の執筆者である。
書は国宝になっている。
清少納言とは仲良しだったので、『枕草子』49段にも登場する。
職の御曹司の西面の立蔀のもとにて、頭の辨(行成)、物をいと久しういひ立ち給へれば、さしいでて、「それはたれぞ」といへば、「辨さぶらふなり」とのたまふ。「なにかさもかたらひ給ふ。大辨みえば、うちすて奉りてんものを」といへば、いみじうわらひて、「たれかかかる事をさへいひ知らせけん。『それ、さなせそ』とかたらふなり」とのたまふ。・・・
あはれともいふべき人は思ほえで
身のいたづらになりぬべきかな 謙徳公
「かわいそうに」と言ってくれる人がいるとも思えず、この身は恋のために死んでしまいそうです。
百人一首45番の歌。謙徳公は、藤原伊尹(これただ、これまさ)。兼家(段田安則)の兄。行成の祖父である。摂政・太政大臣にまでのぼりつめたが早逝した。
長くもがなと思ひけるかな 藤原義孝
あなたに逢うためなら捨てても惜しくもないと思っていた我が命だったけれども、あなたに逢えた今朝は、その命までも長くあって、逢い続けたいと思うようになりました。
百人一首50番の歌。藤原義孝は、謙徳公(藤原伊尹)の子で、行成の父。美貌の貴公子だったが、長くもがなと願った命は21歳と短かった。
まとめると、行成の祖父は摂政・太政大臣であり、祖父も父も百人一首に採られるほど歌がうまい家系だったわけである。人もうらやむ華麗なる一族である。
さてNHK大河「光る君へ」の人物紹介によれば、行成は、道長よりも6歳下。道長政権下で蔵人頭に抜擢されると、細やかな気遣いで実務に能力を発揮、欠かせない存在として支え続ける。・・とある。
婉曲に紹介されているが、ズバリいえば「道長に追従する公卿」。そのように、実資(ロバート秋山)から揶揄されている。行成がそのような生き方を選ばざるをえなかったのは、祖父と父が早逝してしまい、後ろ盾をもたなかったから。後ろ盾を持たない悲哀は、源氏物語に描かれているとおり。
※現代語訳等は『ビギナーズクラッシック日本の古典 百人一首(全)』谷知子編によった。
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