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2024年5月22日水曜日

行成って誰?


 藤原行成って誰?
 
 きのう書いたように、ドラマでは渡辺大知が演じ、清少納言が「夜をこめて」の和歌を送った(そのことを『枕草子』に書いた)相手であり、道長政治を支えた能吏・四納言の一人であり、能書家で三蹟の一人であり、宮廷日記『権記』の執筆者である。

書は国宝になっている。

https://www.tnm.jp/modules/rblog/1/2016/08/26/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E8%A1%8C%E6%88%90%E3%81%AE%E6%9B%B8/ 

清少納言とは仲良しだったので、『枕草子』49段にも登場する。

 職の御曹司の西面の立蔀のもとにて、頭の辨(行成)、物をいと久しういひ立ち給へれば、さしいでて、「それはたれぞ」といへば、「辨さぶらふなり」とのたまふ。「なにかさもかたらひ給ふ。大辨みえば、うちすて奉りてんものを」といへば、いみじうわらひて、「たれかかかる事をさへいひ知らせけん。『それ、さなせそ』とかたらふなり」とのたまふ。・・・


 あはれともいふべき人は思ほえで
        身のいたづらになりぬべきかな  謙徳公
 
 「かわいそうに」と言ってくれる人がいるとも思えず、この身は恋のために死んでしまいそうです。

百人一首45番の歌。謙徳公は、藤原伊尹(これただ、これまさ)。兼家(段田安則)の兄。行成の祖父である。摂政・太政大臣にまでのぼりつめたが早逝した。 


 君がため惜しからざりし命さへ
         長くもがなと思ひけるかな  藤原義孝

 あなたに逢うためなら捨てても惜しくもないと思っていた我が命だったけれども、あなたに逢えた今朝は、その命までも長くあって、逢い続けたいと思うようになりました。

百人一首50番の歌。藤原義孝は、謙徳公(藤原伊尹)の子で、行成の父。美貌の貴公子だったが、長くもがなと願った命は21歳と短かった。

まとめると、行成の祖父は摂政・太政大臣であり、祖父も父も百人一首に採られるほど歌がうまい家系だったわけである。人もうらやむ華麗なる一族である。

さてNHK大河「光る君へ」の人物紹介によれば、行成は、道長よりも6歳下。道長政権下で蔵人頭に抜擢されると、細やかな気遣いで実務に能力を発揮、欠かせない存在として支え続ける。・・とある。

婉曲に紹介されているが、ズバリいえば「道長に追従する公卿」。そのように、実資(ロバート秋山)から揶揄されている。行成がそのような生き方を選ばざるをえなかったのは、祖父と父が早逝してしまい、後ろ盾をもたなかったから。後ろ盾を持たない悲哀は、源氏物語に描かれているとおり。

※現代語訳等は『ビギナーズクラッシック日本の古典 百人一首(全)』谷知子編によった。

2024年5月21日火曜日

清・少納言って誰?(4)

 


 夜をこめて鳥のそらねははかるとも
         よに逢坂の関はゆるさじ  清少納言

 夜が明けていないのに、かの孟嘗君の食客のように、鶏の鳴き真似をしてだましても、逢坂の関の関守はだまされませんし、私もだまされて、すぐ戸を開けてあなたと逢ったりはしませんよ。

 逢坂の関で足止めをくらっているうちに、義同三司母の息子たちは没落へ向かっていた(長徳の変 996年)。中宮定子(高畑允希)も巻き添えを食い、サロンの一員である清少納言(ファーストサマーウイカ)も無縁ではいられなかった。義同三司の往生際の悪さを庭から覗き見することはなかったろうが。

先の歌は百人一首の62番。この歌が詠まれた経緯は、清少納言のエッセイ『枕草子』に詳しい。『枕草子』はいうまでもないだろうが、

 春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。・・

という、あれである。

     

 この歌が詠まれた相手の男性は藤原行成(渡辺大知)。道長の全盛期を支えた四納言の一人。他の三納言は、源俊賢(本田大輔)、公任(町田啓太)、斉信(金田哲)。行成は、能書家・三蹟の一人であり、また宮廷日記『権記』を書き残している。


清少納言は後宮という役所の秘書官みたいなものであるから、能吏であった行成や斉信とも親しかった。かれらとの交流は『枕草子』のところどころに書かれている。百人一首の歌が詠まれた下りは136段。

ある夜、清少納言が行成と談笑していたところ、行成は宮中で用事があると言って急遽帰ってしまった。

翌朝、行成は「昨夜は夜明けを告げる鳥の声にせきたてられたので。早く帰って申しわけありません。」などと見え透いた弁解を入れてきた。それに対する清少納言の返しの皮肉がこの歌。 

かの孟嘗君の食客のように、鶏の鳴き真似をしてだましたという故事は、漢籍『史記』に基づく。「孟嘗君列伝 第十五」。

孟嘗君は、秦の昭蕘王のもとから命がけで逃げていた。夜中に函谷関にたどりついた。函谷関の関守は一番鳥が鳴かないと関を開けない。孟嘗君が困っていたところ、従者の一人が鳥の鳴き真似が上手だという。じっさいにやらせてみたら上手で、本物の鳥たちも呼応して鳴き出し、関守も門を開けてくれ、孟嘗君は窮地を脱することができた。

行成さま、あなたがかの孟嘗君の食客のように、鶏の鳴き真似をして私をだまそうとしても、逢坂の関の関守はだまされませんし、私だってだまされて、すぐ戸を開けてあなたと逢ったりはしませんよ。

清少納言の和歌はこの故事を踏まえたもの。行成の弁解をとっさに孟嘗君の鳥の鳴き真似にたとえた。函谷関の関守はだませても、逢坂の関の関守も私もだまされなくてよ。うふふ。

さて気になるのは、清少納言と行成との男女の仲。残念ながら?皆の期待を裏切り、できる女性上司と後輩男子とのやりとりにとどまったようだ(清少納言が6歳年長)。

清少納言は男女の仲より、こういう互いの教養をたしかめあうやり取りのほうが好きだったのだろう。

※現代語訳等は『ビギナーズクラッシック日本の古典 百人一首(全)』谷知子編によった。