2021年9月30日木曜日

反芻読書とシンクロニシティ

 旅に反芻旅行があるように、読書にも反芻読書がある。

 若いころは、書店に平積みにされている話題作、直木賞・芥川賞受賞作、本屋大賞受賞作、○○ランキング・トップ10など、他人と話をしていて話題になりそうなものは片っ端から読みとばしていた。濫読書と呼ぼう。

どこまで理解できたかは問わない。とにかく読んだことがあるということに意義があるわけだ。なので、途中まで読んでこの話の結末が分かるというデジャブ状態となり、さらに読み進んでようやく「この本読んだことがあった!」と気づくなどということがよくあった。

しかし、アラ60歳となり、そのような読書にあまり意味がないのではないかと思うようになった。そのころから、プルーストの『失われた時を求めて』やジョイスの『ユリシーズ』を繰り返し読むような読書スタイルに変化した。まさしく反芻読書である。

どちらも難物である。初読で理解できることは3%程度という惨憺たるありさまだ。それでも2回、3回と読んでいくうちに、なるほど傑作だと理解できるようになる。

というわけで、本ブログ9月3日の「パリのほそ路」で書いたヘミングウェイの『移動祝祭日』を再読していた。パリにおける作家修業時代の回想録である。

そうすると、ある一文、正確にはある注記に出会い、とても幸せな気分になることができた。

初読のときは気づかなかった。それもそうだ。その回想のタイトルは「サイズの問題」である。誰のサイズかというと、『華麗なるギャツビー』の作者であるスコット・フィッツジェラルドである。どこのサイズかというと、このブログで書くことがはばかられる身体部位なので、みなさんがご自分で読まれたい。初読のときは、スコットの悩みにつきあうことに忙しくて、この注記まで気がまわらなかったのである。

夫妻はスコットだけでなく、妻ゼルダもジャズ・エイジの象徴的存在で、超有名人である。だが、ゼルダは悪妻であり、嫉妬心からスコットにすぐれた小説の執筆を許さない。すくなくともヘミングウェイはそう信じていた。だから、ゼルダとは犬猿の仲である。かくて「サイズの問題」は、じつは身体部位のサイズの問題ではなくて、ゼルダの悪妻としてのサイズの問題なのである。

話は後年にとぶ。20年以上あとのことである。ヘミングウェイはリッツのバーで、主任であるジョルジュからスコットの昔話を教えてくれとせがまれている。その部分を引用しよう。

「いいとも」
「あなたとフォン・ブリクセン男爵が到着したときのことは、よく覚えていますよー何年でしたかね、あれは?」ジョルジュは微笑した。
「彼も死んでしまったな」
「ええ、でも、あの方のことは忘れられません。おわかりでしょう、どうしてか?」
「彼の最初の細君※2は、とても素晴らしい文章を書く人だった」私は言った。「彼女がアフリカについて書いた本は、わたしが読んだなかでも最上のものだったな。アビシニア(エチオピアの旧称)のナイル支流について、サミュエル・ベイカー卿の書いた本を除いてね。それも、あんたの備忘録に書いておくといい。あんた、いまは作家たちに興味を抱いているようだから」
「わかりました」ジョルジュは言った。「あの男爵は、とても忘れられるような方じゃありませんでしたね。で、奥さまが書かれた本のタイトルは?」
「『アフリカの日々(”Out of Africa")』さ」私は答えた。ブリッキーはいつも最初の細君の本を自慢していたよ。しかし、われわれは彼女がその本を書くずっと前から知り合っていたんだ」
「じゃあ、最近しょっちゅうみんなから訊かれるムシュー・フィッツジェラルドはどうなんです?」・・・

問題は「彼の最初の細君」に関して付けられた注※2である。こう書かれている。

 カレン・フォン・ブリクセン=フィネッケ(1885-1962)。デンマークに生まれ、1914年、遠縁の貴族、フォン・ブリクセン男爵と結婚。夫に従ってアフリカに渡り、ケニアでコーヒー農園の経営に従事した。その後世界恐慌のあおりで農園を閉鎖すると、デンマークに帰国。
 以後、イサーク・ディネーセンのペン・ネームで文筆に専念した。1937年、アフリカ時代の思い出を綴った『アフリカの日々』を発表して、作家の地位を確立。この作品は1985年映画化され(シドニー・ポラック監督、メリル・ストリープ、ロバート・レッドフォード主演、邦題『愛と哀しみの果て』)、アカデミー作品賞を受賞するなど話題を呼んだ。ディネーセンの晩年の作品では、1958年刊行の"Anecdotes of Destiny"に収録された「バベットの晩餐会」が有名。この作品も1987年に映画化されて、高い評価を得ている。
 ヘミングウェイはこの回想でディネーセンを賞賛しているが、それは本心からのものだった。1954年にノーベル文学賞を受賞した際のインタヴューでも、彼はこう述懐しているのだからー”・・・もしこの賞があの美しい作家イサーク・ディネーセンに与えられていたら、私はもっと幸せだっただろう”。

お気づきのとおり、『バベットの晩餐会』は本ブログで9月17日に紹介したものである。初読の際に注意をひかず、こんかい気づいたのは同ブログを書いたことも大いに影響しているだろう。

シンクロニシティという言葉がある。心理学者のユングが提唱したもので、意味のある偶然の一致のことである。

BSで映画『ミッドナイト・イン・パリ』を観た。その示唆により、ヘミングウェイの『移動祝祭日』を読んだ。ジョイスとの交流が描かれていた。それらのことをブログに書いた。しばらくしてやはりBSで『バベットの晩餐会』を観た。そのことをブログに書いた。そして『移動祝祭日』を再読していたら、上記注記に出会った。すばらしいシンクロニシティだと思いませんか。

もちろん『アフリカの日々』は濫読書のなかで当時読んだし、『愛と哀しみの果て』も当時劇場で観た。

さいきんは広く浅い知識をたくさん仕入れるより、人生のなか、あちこちで出会った知識や経験を反芻し、それらが互いにつながっていくことのほうに幸せを感じる。

じつはまだ続きがある。BSで映画の予告をやっていた。きたる10月5日(火)午後1時から『愛と哀しみの果て』を放映するという。なんというシンクロニシティ!!みなさま、ぜひご覧くだされ(時間帯からして録画が必要でしょうが)。

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