2011年11月14日月曜日
ステキな金縛り
40歳くらいのご婦人。「××警察署の紹介で来ました。
盗撮、盗聴の被害を受けています。」
むむむ…。
春先によくある相談です。
「そうですか。ご存じのとおり
いまの裁判所は証拠裁判主義です。
あなたの言い分を裁判官にわかってもらうためには
証拠が必要です。
なにか証拠はありますか?」
と、とりあえずお返しします。
しばらくして
また来られます。
「先生、これが盗聴の証拠です!」
と、着ている洋服の襟元をひねって見せられます。
…なにも怪しいところはありません。
「それが、なにか?」
「ここに盗聴器が埋め込まれています。」
…。
とりあえず盗聴のほうは深入りせず
「では、盗撮のほうの証拠は?」
「先生、これが盗撮の証拠です!」
と、ご自宅の天井裏が写っている写真を見せられます。
…天井裏のほか何も写っていません。
「これが、なにか?」
「この梁のところに盗撮用のカメラの跡が。」
…。
話は変わって、別の事件
あるとき当番弁護士で○○警察署に出かけました。
「容疑は覚せい剤取締法違反だけど
間違いないですか?」
「先生、私は覚せい剤をうっていません!」
と全面否認。
「でも尿から覚せい剤反応が出ているようだけど
間違いないですか?」
「あーそういえば
トイレで誰かに無理矢理注射をうたれたことが…。」
たとえ三流弁護士でも
これらの言い分を真に受けることはないでしょう。
でもお引き受けしたとすれば
どうなるでしょう?
さあ、三谷幸喜ワールドのはじまりです。
なかなか楽しい映画でした。
ぼくが裁判官なら、弁護人が深津絵里というだけで
なんでも認めちゃいます(実際、この映画でもそうでしたが)。
いまの日本の裁判官は証拠裁判という金縛りのもと
かなり狭いところで真実かどうかを判断しています。
依頼者のみなさまからは
ご不満をいただくことがザラです。
ではむかしはどうだったかというと、たとえば
盟神探湯(くがたち)という裁判方法がありました。
熱湯に手を入れて、手がただれたら
その人の主張はうそであるとされる神判です。
ま、これよりはいまのほうがマシでしょう。
人間のやることですから限界があります。
裁判官がみな遠山の金さんなら、ご自身で事件現場を目撃して
証人と裁判官の二役をつとめて見事、一件落着とあいなります。
しかしながら、裁判官が超人的な能力を発揮して真実を
発見することを期待するのはちょっと無理な相談です。
もしすべての真実が発見できるとなれば、えん罪ゆえに
起こったドラマのジャンルがなくなってしまうでしょう。
『ステキな金縛り』というユーモアあふれる
素晴らしい作品も、その前提を欠くことになってしまうでしょうね。
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