2011年11月21日月曜日
持ち重りする薔薇の花
人の集まりもまた人とおなじく生きもの
誕生、成長、成熟をへてやがて衰退、解体していきます。
夫婦という共同体しかり
3人以上の組織、団体もしかり。
どうやら人間の性(さが)のようで
DNAにインプットされているのかな?
一般に衰退、解体というのはマイナス・イメージですが
平家物語のように、滅びが哀れを誘い、美しいという面も。
来年また大河ドラマになるようですが
何度でも鑑賞にたえます。
平清盛といえば、われわれの世代には仲代達也ですが
松山ケンイチさんの清盛もおおいに期待しています。
新田次郎に「武田信玄」「武田勝頼」父子を描いた2つの小説
がありますが、滅びにむかう後者のほうがはるかに面白い。
というわけで、当事者にとっては悲劇ですが
文芸的な感興という観点からはギリシア時代から悲劇の伝統が。
話が脱線しましたが、『持ち重りする薔薇の花』(新潮社)
丸谷才一さんのひさびさの長編小説。
丸谷才一さんとは一面識もないものの、研修所時代の亡同級性の父上と
仲良しということで、浅からぬ?ご縁が。
話は、カルテット(四重奏団)の結成と解体を
そのスポンサーが編集者に語るという筋立て。
カルテットは、ヴァイオリン×2、ヴィオラ、チェロによって
ハーモニーを、ときには不協和音も奏でます。
この楽しいけどやっかいな4人の人の集まりを
持ち重りする薔薇の花束にたとえたのが表題。
「…いや、薔薇の花束を一人ならともかく四人で持つのは
面倒だぞ、厄介だぞ、持ちにくいぞ…」
例によって丸谷さんの語り口、会話の妙が上品でユーモアがあって
上質なワインを飲んでいるよう(私は下戸ですが)。
全編にちりばめられる人間と人間関係に対する洞察も
いちいちうなずかされます。
・「チェロさんの想像力の貧困、思ひやりのなさ、人間的な至らなさ
がこたへるんだね。わかる。…」
・「まあ、E・M・フォースターみたいな皮肉」
それを聞いて梶井は苦笑し、
「ばれたか。フォースターの口まねなんだ。
君はフォースター、好きなの?」
4人の人間関係がぎくしゃくするにつれ
皮肉なことに四重奏の円熟は深まります。
「はい…音楽的に深まるきっかけとなった、四人の人間関係のもつれの
せいでの心労、辛さとか痛々しさとか切なさとか我慢とか忍従とか…」
人間、その集まりというのは
ほんとうにやっかいでおもしろいしろものですねぇ。
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