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2023年7月25日火曜日

訪問看護ステーションはるかのサマーパーティ

 

 顧問先である訪問看護ステーションはるかのサマーパーティに参加させてもらった。

はるかは精神病患者・精神障害者に対し訪問して看護を提供する会社。 

https://rainbowrose.info/index.html

かつてハンセン病(らい病)の隔離政策の違憲性を問う裁判に取り組んだ。ハンセン病は感染力がわずかである。にもかかわらず、外貌醜状をきらい、必要もないのに社会からの排除(隔離)が官民をあげて大規模に行われた。

こうした偏見・差別はハンセン病にとどまらない。薬害エイズでもそうだったし、薬害肝炎でもそうだった。いまでもコロナ患者やO157など感染症患者に対する偏見・差別はなくなっていない。

精神病患者・精神障害者は感染症ではないけれども、やはり偏見・差別にさらされている。弁護士会では、精神障害者らに対する不必要な入院をなくすよう長年取り組んできた。

遅ればせながら行政もこの問題への取組みをしている。しかし家族・社会や医療側の理解が得られず、遅々として理解・解放はすすまない。

訪問看護というのは、精神障害者らを病院(隔離)ではなく、社会で受け入れるための大きな受け皿となっている。

内科や外科の訪問看護もたいへんだろうが、精神科となると並大抵ではない。もともと生きづらさを抱えているので、看護も疾病対策だけでなく全生活的に援助が必要になってくる。当事務所も、そのうち法的な援助を手助けしている次第である。

訪問看護にあたる看護師さんたちは、日ごろ多大なストレスにさらされている。そのため、社員旅行、サマーパーティ、忘年会などで、普段たまりにたまったストレスを解消している。

ことしのサマパ。一次会は上呉服町にある旬菜旬味・燈明(あかり)にて。おいしい料理に舌鼓をうった。このあたり、われわれの学生時代は、御供所町と呼ばれていたと思う。友だちの下宿があり、よく訪ねていた。

2次会は、親不孝通りのあんみつ姫。「おかま」のショー、ダンス、コントの店で有名だった。39周年らしい。なんとわが事務所と同じ。よく続いたものだ。福岡だけでなく、北海道をはじめ、遠方からも客が来ている。昼間の世界水泳や博多座観劇もかねているようだ。

LGBTQのいまの時代、「おかま」という言葉は生き残っているのか。ダイバーシティ・インクルージョンの潮流のなか、「おかま」のショーは色ものとしてではなく、ショー本来のエンターテインメント性が問われているようだ。

そしてダイバーシティ・インクルージョンの潮流のなか、ハンセン病、エイズ患者、肝炎患者、感染症患者、その他あらゆる被差別者に対する偏見・差別がなくなりますように。

2011年12月28日水曜日

家政婦もミタ by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 今年2月ころの日程を確認するために
 「弁護士日誌」をめくっていたら、なんと!?

 3月11日より前の欄が白紙でした。
 ???

 そういえば、そのころ旧い手帳を紛失し
 新しいものを使うようにしたのでした。

 その結果、3月11日より前の欄が白紙に。
 すっかり失念していました。

 それにしても
 なんとも意味深な。

 まるで私の人生としても、3月11日より前と
 後が断絶し別物であることを象徴しているよう。

 ところで年末、松嶋菜々子さんが「家政婦のミタ」(日本テレビ系)で
 無表情な家政婦役を演じ、話題になりました。

 21日の最終回には平均視聴率40・0%というのですから
 ほぼ2軒に1軒弱の家庭はミタ計算になります。

 おおくの家政婦さんもミタことでしょう。
 驚異的な数字の裏に何があったのか。

 宇佐美毅・中央大教授の分析はこう。 
 「『家政婦のミタ』大ヒットの真相」(zakzak)

 「松嶋さんが演じる家政婦は
 過去に事件で家族を亡くしたという設定で

 作品の根底には、災害や事件で生き残った人が死者に罪悪感を覚えてしまう
 『サバイバーズギルト』がある。

 東日本大震災だけでなく、自殺者が年間約3万人という日本で
 身近な人の死をどう乗り越えていくかは現代の大きな課題。

 そこを捉えたからこそ、このドラマは面白さだけでなく
 重さ、深みがあったのだろう」

 たしかに3.11後は、東北・東日本のみなさんや被害者に
 申し訳ないような気持ちで落ち着きませんでした。

 直接的な加害者でもなんでもないけれど
 災害や事件をミタ者の責任なわけです。

 そういえばハンセン病訴訟のときも、当初は
 訴訟立上げのお手伝いをするだけのつもりでした。

 でも一度、療養所を訪問する機会がありました。そのとき
 元患者さんからうかがった話に衝撃を受け、コミットすることに。

 3.11後はいままでとはちがう世界
 ミタ者としてなにができるか考えていきたいと思います。

 さて、本ブログもことしは今日まで。
 ことし一年、つたない文章におつきあいいただき感謝。

 新年は6日再開の予定です。
 それでは、おだやかでよいお年をお迎えください。

           ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2010年11月30日火曜日

 ハワイのハンセン病



 新春をハワイで過ごしませんか?
 旅行社からのDMが
 誘っています。

 ハワイといえばリゾート地
 ふつうハンセン病とは結びつきませんよね。
 でも関係あります。
 わかりますか?

 ヒントはきのうの話のつぎのくだり。
 「ピルグリムファーザーズがアメリカ大陸に来た時点で
 ニューイングランド周辺にいたインディアンのうち約90%は
 インフルエンザその他の病気により死亡した」
 
 東海岸で起きたことは当然ハワイ島でも起きます。
 19世紀半ば、ハンセン病が流行しました。

 ネイティブの人たちはハンセン病と過去に接したことがなく
 免疫をもたなかったからです。

 ハンセン病はきわめて感染力・発症力が弱い感染症
 日本で流行するようなことはありません。
 (いまでは特効薬で治癒します)

 関ヶ原の合戦で石田三成に味方した大谷吉継のように
 われわれの祖先がハンセン病に接してきたからです。

 幼少時などの濃厚接触のみにより感染するため
 昔から遺伝病と誤解されてきたぐらいです。

 ヨーロッパでも事情はほぼおなじ
 すでに旧約聖書にも記載され
 映画「ベン・ハー」のなかでも
 ベンの母と姉がイエスの奇跡により治癒する場面が。

 ただ19世紀半ばノルウエーで流行をみたことがありました。
 ハンセン病の名前の由来となった
 アルマウエル・ハンセンはノルウエー人
 らい菌を発見し、ハンセン病の原因をつきとめました。

 ノルウエーでは家庭内での隔離など穏やかな方法(相対隔離)で
 流行を収束させることができました。
 このようなやり方で十分というのが世界の趨勢となりました。

 これに対し、ハワイでは強制的な方法(絶対隔離)で臨みました。
 それでも1932年にはこのような方法をやめています。

 ところが日本では世界の趨勢に背をむけ
 1931年(昭和6)、らい予防法(旧法)を制定して、ハワイ方式に。

 絶対隔離・絶滅政策をがむしゃらに推し進めていくことになります。
 これによりおおくの感染者(治癒後も)、家族の人生が狂わされました。

 松本清張の「砂の器」(1961年)は
 患者の家族が差別・偏見をのがれるために陥った悲劇を
 描いています。
 (高校生のとき、授業をさぼって観ました。誰とだったかな~?)

 感染症とのつきあいは確かにむずかしい。
 われわれの人権感覚がためされる場面でもあります。

 でもダイアモンド※の頭脳までは必要ありません。
 (ハワイにダイアモンドヘッド※※は不可欠でしょうが…。)
 世界の趨勢に背をむけて絶対隔離政策を推し進めるような
 とんでもない石頭でなければ十分なんです。

 ※「銃、病原菌、鉄」の著者
 ※※ワイキキビーチから見える、オアフ島にある火山