2010年11月30日火曜日

 ハワイのハンセン病



 新春をハワイで過ごしませんか?
 旅行社からのDMが
 誘っています。

 ハワイといえばリゾート地
 ふつうハンセン病とは結びつきませんよね。
 でも関係あります。
 わかりますか?

 ヒントはきのうの話のつぎのくだり。
 「ピルグリムファーザーズがアメリカ大陸に来た時点で
 ニューイングランド周辺にいたインディアンのうち約90%は
 インフルエンザその他の病気により死亡した」
 
 東海岸で起きたことは当然ハワイ島でも起きます。
 19世紀半ば、ハンセン病が流行しました。

 ネイティブの人たちはハンセン病と過去に接したことがなく
 免疫をもたなかったからです。

 ハンセン病はきわめて感染力・発症力が弱い感染症
 日本で流行するようなことはありません。
 (いまでは特効薬で治癒します)

 関ヶ原の合戦で石田三成に味方した大谷吉継のように
 われわれの祖先がハンセン病に接してきたからです。

 幼少時などの濃厚接触のみにより感染するため
 昔から遺伝病と誤解されてきたぐらいです。

 ヨーロッパでも事情はほぼおなじ
 すでに旧約聖書にも記載され
 映画「ベン・ハー」のなかでも
 ベンの母と姉がイエスの奇跡により治癒する場面が。

 ただ19世紀半ばノルウエーで流行をみたことがありました。
 ハンセン病の名前の由来となった
 アルマウエル・ハンセンはノルウエー人
 らい菌を発見し、ハンセン病の原因をつきとめました。

 ノルウエーでは家庭内での隔離など穏やかな方法(相対隔離)で
 流行を収束させることができました。
 このようなやり方で十分というのが世界の趨勢となりました。

 これに対し、ハワイでは強制的な方法(絶対隔離)で臨みました。
 それでも1932年にはこのような方法をやめています。

 ところが日本では世界の趨勢に背をむけ
 1931年(昭和6)、らい予防法(旧法)を制定して、ハワイ方式に。

 絶対隔離・絶滅政策をがむしゃらに推し進めていくことになります。
 これによりおおくの感染者(治癒後も)、家族の人生が狂わされました。

 松本清張の「砂の器」(1961年)は
 患者の家族が差別・偏見をのがれるために陥った悲劇を
 描いています。
 (高校生のとき、授業をさぼって観ました。誰とだったかな~?)

 感染症とのつきあいは確かにむずかしい。
 われわれの人権感覚がためされる場面でもあります。

 でもダイアモンド※の頭脳までは必要ありません。
 (ハワイにダイアモンドヘッド※※は不可欠でしょうが…。)
 世界の趨勢に背をむけて絶対隔離政策を推し進めるような
 とんでもない石頭でなければ十分なんです。

 ※「銃、病原菌、鉄」の著者
 ※※ワイキキビーチから見える、オアフ島にある火山
 

2 件のコメント:

  1. 「砂の器」は映画館で見たことは勿論、DVDも持っています。もう何度見たことか。かなりの部分の台詞も覚えています。
    映画を見て世の中の偏見や無理解に憤る。私の場合は、しかし、ここまででした。徳田先生のように「法律家として(何もしなかったことを)恥じている」とまで立派にはなれない。エイズに対しても私自身偏見を持っていました。今でも怪しいものです。そういうことは数限りなくあります。犯罪者・貧者に対してもどう向き合うべきか・・・課題は多いですね。愚直に生きる、というのは本当に難しいものです。
    すみません、感傷的なコメントになってしまいました。

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  2. 「砂の器」DVD買って何度も見ました。台詞も覚えているほどです。それでも、偏見や無知というものの恐ろしさと偏狭な社会への憤りを感じただけです。いや、それだけでなく、何も知らなければ自分自身も偏見をもって患者さんたちと接したであろうということも容易に想像できます。世間とはこういう無知な人間の集まりなのでしょう。やるべきことは沢山ありますね、残念ながら。

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