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2022年12月15日木曜日

嵯峨~吉野~大峰~熊野「嵯峨日記」

 

(落柿舎)


(大峰山)

 
(熊野)

 二日戻って、LGBT。LGBTに帯する理解が深まると、作品解釈にも差が出るのかもしれない。というわけで、きょうは「嵯峨日記」。

二日前のブログで、笈の小文の旅で、芭蕉が島流しにあっていた愛弟子・杜国を慰めに訪問したこと、芭蕉と杜国の間に男色説があること、従来はそこで思考停止していたけれどそれではいけないと反省をしていることなど書いた。

杜国のことは「嵯峨日記」にもでてくる(杜国は前年亡くなった。)。

 廿八日
 夢に杜國が事をいひ出して、涕泣して覚む。
 心神相交わる時は夢をなす。陰尽きて火を夢見、陽衰えて水を夢みる。飛鳥髪をふくむ時は飛るを夢見、帯を敷寝にする時は蛇を夢見るといへり。睡枕記・槐安國・荘周夢蝶、皆其理有りて妙をつくさず。我夢は聖人君子の夢にあらず。終日忘想散乱の気、夜陰夢又しかり。誠に此ものを夢見ること、所謂念夢也。我に志深く伊陽旧里迄したひ来りて、夜は床を同じう起臥、行脚の労をともにたすけて、百日が程かげのごとくにともなふ。ある時はたはぶれ、ある時は恋しび、其志我心裏に染て、忘るることなければなるべし。覚て又袂をしぼる。

「嵯峨日記」は、元禄四年4月18日から5月4日まで、芭蕉が京都嵯峨野にある落柿舎に滞在したときの日記である。いままで、ぼんやりと小中学生の日記のように読んでしまっていた。しかし、杜国への愛惜の念を中心に置くと、起承転結で読めると思う。

まず起。嵯峨野や落柿舎の紹介。嵯峨野は「平家物語」にもでてくる。高倉天皇に愛されたがゆえに平清盛から迫害された小督が隠れ住んだ場所である。芭蕉のなかでは、空米売買の罪を問われた杜国とダブっているのかもしれない。

小督が隠れ住んだ嵯峨野も、いまは竹林が残るのみ。

 うきふしや竹の子となる人の果

むかしは豪勢だった(料理場なども広い!)落柿舎も、いまや所々頽破している。

 柚の花や昔しのばん料理の間

つぎに承。落柿舎は京都郊外にあるものの、入れ替わり立ち替わりお弟子さんたちが訪ねてきたり、その消息がもたらされる。表面的、芭蕉の生活はにぎやかなようだが、なぜか心中は淋しい。

そして転。さきの28日の記述。

その後、結。

 二日。
 曽良来りてよし野の花を尋ねて、熊野に詣侍るよし。
 武江旧友・門人のはなし、彼是取まぜて談ず。
  くまの路や分つつ入ば夏の海 曽良
  大峰やよしのの奥を花の果

笈の小文の旅で、芭蕉と杜国は吉野山まで行き、楽しんでいる。

 よし野にて櫻見せふぞ檜の木笠
 よし野にて我も見せふぞ檜の木笠 万菊丸(杜国)

曽良の旅はそこから先。吉野山から大峰奥駆け道(世界遺産)を通り、大峰山を経由して熊野に至る。夏の海は熊野灘である。中近世、熊野から海へ向けて補陀落渡海がおこなわれていた。

補陀落は、観音菩薩が降臨する伝説上の山であり、熊野の先にあるとされた。補陀落渡海は、行者が沖にこぎ出し、108の石をまきつけて捨身することである。

平家物語のなかでも、一ノ谷の戦に敗れた平維盛が戦列を離れて熊野へ行き、補陀落渡海(入水自死)したことが描かれている。

平家物語の小督の話ではじまった「嵯峨日記」である。曽良から熊野詣の話を聞かされながら芭蕉の頭に去来していたのは維盛の補陀落渡海のことであろう。補陀落渡海こそが「花の果」と意識されたことだろう。

 一、四日
 宵に寝ざりける草臥に終日臥。昼より雨止む。
 明日は落柿舎を出んと名残をしかりければ、奥・口の一間一間を見廻りて、
  五月雨や色紙へぎたる壁の跡    (「嵯峨日記」はここまで。)

杜国亡きあとの芭蕉の心には、五月雨がふりつづき、心中、色紙へぎたる壁の跡のようだったろう。かくて起承転結。

ところで、「嵯峨日記」をおさめた岩波文庫の『芭蕉紀行文集』。その表紙の文章をあらためて読んで、はっとした。

 人生の本質を無情・流転に見た芭蕉(1644-1694)の芸術と生涯は、幾つかの旅を展開点として飛躍を遂げてゆく。肉体と精神を日常の停滞から解き放ち、新たな発見に直面させてくれるもの、それは旅であり、芭蕉の人生観・芸術観の具体的吐露が紀行文であった。

はっとした理由は、それぞれ考えてくだされ。それではまた。

2022年10月21日金曜日

見えない力を信じる


  奈良大宮ロータリークラブの招待で百名山の一つ、奈良の大峰山に登ったことがあった。前日は山麓にある竜泉寺で斎戒沐浴。滝行、護摩炊きなどをおこなった。その際、唱えたお経は般若心経だった。霊山に入るまえ、心は澄んでいった。

ラフカディオ・ハーンの『怪談』。そのなかの一編「耳なし芳一のはなし」。平家の亡霊に魅入られた際、和尚は芳一の「全身に」お経を書き付ける。ところが耳にだけお経を書き忘れたため、亡霊武者に耳だけをちぎって持っていかれてしまう。みなさんご存じだろう。あの話のなかで和尚が書いたお経は般若心経である。

般若心経はあの孫悟空に出てくる三蔵法師が中国に伝えた。そして漢字に翻訳し、それが日本に伝わった。般若心経のよいところは、なんといっても簡潔なところだ。簡潔だいすき。全部で漢字262文字。

NHK100分de名著シリーズで『般若心経』佐々木閑著を読んだ。以下、ぼくなりに理解したところ(誤りがあると思うので、自分で読んでみてくだされ。)。ではまずクイズ。「般若心経はお釈迦様の教えである。○か×か。」

答えは×。お釈迦様はおよそ2500年前の人、般若心経はそれから500年ほど経ったころに起こった宗教運動のなかでうまれてきた教えである。いわゆる大乗仏教の一派(対するお釈迦様の教えは小乗仏教とか上座部仏教と呼ばれる。)。そして大乗仏教はお釈迦様の教えを乗り越えようとしたものである。

ざっくり言って、お釈迦様の説かれた教えは、とても物理的な世界観である(色あり)。そして論理的・分析的な教えである。自利といって自分が修行して仏になることを教える。

対する般若心経は、まず釈迦が前提としていた世界観を否定する(色即是空)。物理の外側に神秘の世界が広がっている。そのうえで、見えない力を信じ、利他の行い、さらにはお経を唱えることだけで仏になれると説く。

コロナ禍、ロシアのウクライナ侵略、円安、物価高騰など世の中は激動している。このため、われわれの心も揺れ動き安定しない。つまり、不安である。

不安な心を安定させ、安心するにはどうしたらよいのか。心を安定させるための「よりどころ」が必要である。その一つが宗教であることは歴史的にあきらかである。さいきんでは「宗教を信じている人のほうが、そうでない人より幸福度が高い」という実験結果もある。

しかし他方で統一教会・霊感商法問題もある。宗教にも、よい宗教と悪い宗教があるのだろう。不安なあまり悪い宗教に取り込まれたりしないように注意しないといけない。仏にいたる道は狭い。狭き門である。

2021年4月21日水曜日

役行者・修験道

(役行者@愛嶽山、足駄を履いている)


(宝満山峰入り) 


(前鬼・後鬼@洞川温泉・大峰山)

大宰府の鬼門には宝満山があります。いまは神道の竃門神社だけがありますが、中世には370もの仏教の坊舎があったといい、近世には修験道も盛んになりました。7合目のあたりにある中宮跡などはその名残りです。

修験道は、山々を歩いて厳しい修行をおこない、悟りをえて験力により人々を救済する神仏習合系の宗教です。修験者のことを行者ともいいます。

残念ながら明治初期、政府の神仏分離政策(いまなら政教分離原則違反で違憲です。)により廃れてしまいました。が、さいきんは五月の峰入りなど復活してきています。

宝満山の登山道から南にはずれてしばらく登ると愛嶽山があります。その山頂にはいまも役行者が祀られています。

役行者(役小角)は修験道の開祖です。葛城山で山岳修行をおこない、熊野山や大峰山で修行を重ね、吉野山の金峯山で金剛蔵王大権現を感得しました。呪術をもちい、前鬼・後鬼という夫婦の鬼を使役していました。

あるとき、葛城山と金峯山とのあいだに石橋を架けようとして、葛城山の神である一言主(ひとことぬし)に命じました。しかし、神は自らの醜い姿を気にして夜間しか働きませんでした。そのため、行者は怒り、神を呪法と蔦葛で縛ってしまいました(能『葛城』)。

芭蕉は、中国の李白・杜甫、先輩歌人、先輩旅人、禅の先達につづき、役行者にもあやかろうとしました。行者は足が達者でした。山々を歩き回って修行したからです。みちのくへの門出にあたり、行者にも参拝しています。いわく。

修験光明寺といふあり。そこに招かれて、行者堂を拝す。

 夏山に足駄を拝む首途かな
 (なつやまにあしだをおがむかどでかな)

芭蕉はすがれるものは藁にもすがりたいという気持ちだったのでしょう。みちのくの旅は、それほど苦難な道のりが予想されたのでした。

2019年1月29日火曜日

奈良大宮ロータリークラブ創立40周年式典


(奈良ホテル)

 奈良大宮ロータリークラブのご招待で創立40周年式典に参加しました。
 太宰府ロータリークラブとは友好クラブの関係にあります。
 1985年からのおつきあいです。

 奈良県にある日本百名山で世界遺産の大峰山登山にお誘いいただいたのも同クラブの山歩き会のみなさま。
 山登りのときに,みなさんが楽しげに屋久島や利尻に登った経験を話されていました。
 触発されて日本百名山をめざすことになり,達成することができました。ありがたいご縁です。

 太宰府ロータリークラブの会場は大丸別荘ですが,奈良大宮ロータリークラブの会場は奈良ホテルです。「西の迎賓館」と呼ばれるだけあって,重厚なたたずまいに背筋がのびます。

 獅子舞が40周年のめでたさを言祝いでくれました。

2012年12月10日月曜日

大峰講





『神去なあなあ夜話』について
もう1話。

神去村の人たちはいい人たちだが
なぜか口がおもいところがある。

原因をたぐれば
かって村を揺るがした大事件にいきあたる。

大峰講に
関連している。


大峰講というのは
大峰山にのぼる講である。

講とは,同一の信仰をもつ人々による結社・行事のこと。
転じて,相互扶助的な団体や行事のこと。

いまなら旅行互助会の積立金というところか。
その元祖である。

大峰山は
奈良県南部にある百名山。

広くは,大峰山脈のこと
狭くは,山上ヶ岳(1719m)のこと。

いまなお女人禁制となっている
唯一の山らしい。

吉野から熊野に至る大峯奥駈道の
中程にある。

大峯奥駈道などこの一帯は
世界に知られる霊峰である。

2004年,ユネスコの世界遺産に
登録された。


これまでに2度
のぼったことがある。

近鉄奈良駅から
バスに乗る。

天川村の峡谷を
くねくねと洞川温泉まで行く(泊)。

登山前日には
竜泉寺にて護摩焚き。

赤褌ひとつになって
身を切られるような滝行。

滝行などとおもわれるかもしれないが
頭がすっきりしてすがすがしい。

夕暮れ洞川温泉街を散策すると
風情がただよう。

翌朝暗いうちから
大峯大橋をわたる。

すぐに,その名も
女人結界門をくぐる。

そこから
ながく厳しい登山道である。

一ノ世茶屋,一本松茶屋を経て
洞辻茶屋で奥駈道と合流。

鐘掛岩,西・東ノ覗岩など
修行場がつづく。

足をすべらせると,命にかかわる
岩場をひいひいのぼる。

半身を谷底に押し出されながら
神への誓いを叫ぶ。(よう強要される。)

本来なら,脅迫による意思表示だから
無効なところだ。

朝もやのなか,山上には
大峯山上権現が鎮座。

ここでもやはり
頭がすっきりしてすがすがしい。

2日かぎりの付け焼き刃の修行だが
なんか悟りにちかづいた気がする。

山上ちかくの
宿坊にて朝食。

あたたかい味噌汁とにぎり飯に
感動,感謝。

(中略)

ふたたび女人禁制門をくぐって
俗界に還る。

修行の効果も
たちまち消失…。

2012年8月20日月曜日

クサギby.福岡県筑紫野市の弁護士



 いまの時期,宝満山には
 登りたくありません。

 暑いし
 カやアブが多いので。

 でも登っている人も
 おおぜいいます。

 ただただ運動という方もいますが
 半分くらいは大きな山の体力づくり。

 われわれも9月に奈良の大峰山に登る予定があり
 その準備運動のつもりで夏の宝満登山を計画しました。

 ところが,大峰登山がとある事情で中止になり
 なぜか宝満登山だけが残ったのでした。

 もうさいしょから汗だくで
 秋冬春の2倍は疲れます。

 山道をいくと
 ヤブのなかに白いものがちらほら。

 なにかな?と思ってちかよると
 クサギ(臭木)の花でした。

 葉をさわると臭いので
 この名を頂戴しています。

 こんな花を咲かせるのだから
 もう少しエレガントな名前がありそうなもの。

 ま,ヘクソカズラより
 ましですが。

 シソの仲間の落葉小高木。
 シソの仲間というのはちょっと意外ですね。

 まえはクマツヅラの仲間とされていたようで
 そのほうが植生からすると,ありそう。

 でもおそらく遺伝子的には
 シソに近いのでしょう。
 
 それにしてもこの花
 宇宙人の襲来のような,誘っているような…。

 いかにも蝶や蛾を誘って
 受粉をしてるって感じですね。

 花もどくとくですが
 実がなると,やはり宇宙っぽいです。 

 花言葉は
 運命,治療。

                    弁護士 浦田秀徳
 

2011年3月28日月曜日

 英 彦 山



 27日、いつものメンバーで英彦山に登りました。
 ことし2度目の山会。

 福岡県の添田町と大分県の山国町にまたがり、標高1,200m
 岩崎元郎さんの新日本百名山、日本二百名山の一つ。

 「日子山」が嵯峨天皇の勅命により「彦山」
 霊元法皇の院宣により「英彦山」となったとか。

 羽黒山(山形県)大峰山(奈良県)とともに「日本三大修験山」
 とされる霊山。
 
 ながいあいだ聖域として尊ばれ、守られてきたため
 豊かな自然が残っています。

 豊前坊→高住神社→望雲台→北岳→中岳(昼食)→英彦山神社上宮→南岳
 →材木岩→大南神社→鬼杉→玉屋神社→奉幣殿→別所駐車場のコース

 北側斜面、谷筋にはまさかのなごり雪が残っていたものの
 南側斜面、尾根筋にはマンサクが咲き、冬と春が交錯していました。

 高住神社、英彦山神社上宮、大南神社、玉屋神社、奉幣殿では
 被災地のいちにちも早い復興を祈りました。
 

2011年2月24日木曜日

 大峰山(つづき)



 翌朝暗いうちに一丸旅館を出発
 登り口は大峯(清浄)大橋。

 「懺悔懺悔、六根清浄(さんげさんげ、ろっこんしょうじょう)」
 と先達のリードで繰り返し唱えながら登ります。

 六根とは、視、聴、嗅、味、触覚の五感と意識
 六根清浄とは、我欲などの執着を断ち、魂を清らかな状態にすること。

 しだいにトランス状態になり
 セロトニンが分泌されます。

 大峰山は、いまなお宗教上の理由から日本で唯一、女人禁制の山
 登山道からすぐのところに「これより女人結界」の門があります。

 男女共同参画社会基本法に抵触するかどうか頭をよぎりましたが
 トランス状態のまま通過。
 (女性の読者のみなさま、あいすみません)

 おそらくはご異論もあるのでしょうが
 心弱き男どもは女人といっしょでは魂が清らかにならぬのでせうね。

 途中、一の瀬茶屋跡、一本松茶屋という茶屋が設けられ
 しばらく行くと「役行者お助け水」と称する水場があります。

 尾根筋まで登ると洞辻茶屋があり
 いよいよ世界遺産の大峯奥駈道と合流。

 そこからはいわゆる表行場で
 難所の連続です。とくに高所恐怖症の人にはお勧めしません。 

 まずは鐘掛岩。釣鐘状の巨岩に登っていくのですが
 右左の足を出す順序を間違うと、行き詰まり進めなくなります。

 つぎが西ノ覗岩。断崖絶壁から真下を覗き見る修行
 その名も捨て身行。

 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という空也聖人の歌がありますが
 身を捨てて生まれ変わる(再生する)行。

 命綱ひとつに身と命をゆだねて、断崖絶壁の先に身を突き出されます
 綱はランドセルのひものように肩にかけるだけで、いまにも外れそう…。

 この状態で、後ろから突き出している人がいろいろと要求してきます
 「親孝行するかぁ!」「夫婦仲よくするかぁ!」…

 「はいっ!」と答えないと、数センチほど先へ押しやられます
 これはもう「はいっ!」と答えるしかありません。

 山の神に誓ったことではあるものの
 強迫による意思表示なので取り消すことができるはず(民法96条)。

 などと考えているうちにほどなく、世界遺産登録の大峯山寺に着
 役小角(えんのおづぬ、役行者)を伝承的な開祖とする修験道の寺院です。

 ここで朝食
 あたたかい味噌汁が疲れた体と心を解放します。

 1007年、かの藤原道長が山頂に自筆の般若心経などを銅の筺に納めて
 埋経しました。「御堂関白記」の記載のほか物も出土しているとか。

 ひといきついたのち、裏行場を巡拝し、山頂で記念撮影
 そして登ってきた道を引き返します。

 同行のKさんが、あとすこしで女人結界というところでおおきく転倒
 みなから「邪心、邪心、まだまだ修行が足りぬ」と冷やかされていました。

 下山後は温泉で汗を流し、鯉料理に舌鼓をうったのち帰路
 橿原神宮で近鉄特急、京都から新幹線に乗って帰福。
 
 修行の数々により、懺悔懺悔、六根清浄
 下界のうさを忘れることができました(ほんのいっときですが)。
 

2011年2月23日水曜日

 大峰山~“癒す”聖地~


 (大台ヶ原からみた大峰山系、右が吉野、左が熊野方面)

 「聖地はなぜ“癒す”のか」の番組では
 熊野古道を歩くことが“癒す”のにいいということでした。

 熊野までの道にはもうひとつ、大峯奥駈道があります。
 吉野から熊野まで大峯山系を南北に縦走しています。 

 その中心にあるのが大峰山
 日本百名山の一つで、奈良県南部にあります。

 「峯」の字は「山久しくして平らかなり。」という意味だそう
 修験道の山です。

 大峰山は、宗教的には山上ヶ岳(1719m)のことで
 山頂に史跡「大峯山寺」があります。

 他方、日本百名山としては、深田久弥さんの書いている標高からか
 八経ヶ岳(1915m、別名「八剣山」)が紹介されることが一般的。

 ユネスコの世界遺産に、「紀伊山地の霊場と参詣道」の文化的景観を示す
 主要な構成要素として史跡「大峯山寺」、史跡「大峯奥駈道」ほかが登録。

 奈良大宮ロータリークラブの山の会のみなさんが毎年9月の第1週に山行
 されており、われわれも5年ほどまえからご招待をうけ参加しています。

 奈良大宮クラブと太宰府クラブは姉妹クラブで、山だけでなく
 ゴルフや周年行事で交流をはかっています。

 奈良大宮クラブの方は本格的で、行者装束の方もおられ
 参拝講をつくられているそうです。

 立山などの修験者が霊山への登山を勧めて全国を廻り
 各地に参拝講が作られたとか。

 「先達」がリーダーをつとめ
 登った回数により、小先達、中先達、大先達と資格がすすみます。

 徒然草第52段で、仁和寺にある法師がひとり石清水八幡宮に参詣し
 麓の下院のみを詣でるという失敗をおかし

 「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」
 と兼好法師があったほうがいいよといった、あの先達のことです。

 うちのクラブからはK添さんが5回参加され、小先達になられたはず
 私はまだ2度しか参加できていません。

 ベースキャンプは、吉野郡天川村の洞川(どろかわ)温泉
 百名山に登るのは、全国の温泉をめぐる旅でもあり、ほんと癒されます。

 天川村は、内田康夫さんの「天河伝説殺人事件」により、一躍有名に。
 洞川湧水群があり、水の郷百選にも撰ばれ、水の清浄なところ。

 まずは龍泉寺で、般若心経をとなえつつ護摩焚き
 その後、フンドシ1つになり、滝行、そして水行の修行。

 9月といえども湧水ゆえ水温は低く寒冷
 でも滝行、水行のあとはなぜか気分が清浄になりすっきりとします。

 大阪は泉佐野にある犬鳴山で女性の滝行が人気だとか(TV番組)
 みなさん、同じような感想を述べられていました。

 ただ竜泉寺境内は女性観光客も。フンドシ姿を見られることに心を乱した
 I村さんは足もとを乱してしまいました。まだまだ修行が足りません。
 
 食後、温泉街を散策。上品にひなびていて、とても風情があります。
 (温泉街特有の猥雑さがありません。)

 ある店で(名前が思い出せません)、金平糖と葛湯をいただき
 「陀羅尼助丸」という漢方薬(胃腸薬)のおみやげを購入。

 宿は一丸旅館
 酒宴が盛り上がるなか、夜は更けていきます。
 (明日は早立ちなのに、大丈夫か?ぼくたち…)