高校生の一時期、日本史の教師になりたいと思っていた。S先生の授業がすばらしかったから。2年だったか3年だったか、2学期が終わった時点で近世までしか進んでいなかったので、学校の図書館で近代の補講をやっていただいた。その時の感動は忘れられない。日本史って面白いと思った。
その先生に「読んどいたほうがいいよ。」と言われて読んだのが井上靖『天平の甍』(新潮文庫)。唐招提寺を開いた唐の高僧・鑑真を日本に招聘した日本の若き学僧たちの物語。そもそも入唐そのものが命がけだった時代にハードルが高すぎる課題である。
その冒頭7頁に、つぎの一節がある。
大安寺の僧普照(ふしょう)、興福寺の僧栄叡(ようえい)の二人に、おもいがけず留学僧として渡唐する話が持ち出されたのは、二月の初めであった。二人は突然、当時仏教界で最も勢力を持っているといわれていた元興寺の僧隆尊の許に呼び出されて、渡唐の意志の有無を訊ねられた。普照も栄叡も、隆尊と親しく言葉を交えたのはこの時が初めてであった。二人とも隆尊の華厳※の講義を聞いたことはあったが、平生は傍へも近寄れぬ相手であった。
華厳に付された※は注解の印である。末尾203頁に次の注解がある。
※華厳
釈迦成道後はじめての説法を録した華厳経を所依として建てた宗派のこと。世界を太陽の顕現であるとして、かすかな塵の中に全世界を映し、また一瞬の中にも永遠を含むという一即一切の世界観が根本教理である。
印度では竜樹・世親を祖とし、中国では唐の賢首によって大成され、天平8年(736)唐僧道璿がその章疏をもたらし、同12年、新羅僧審祥が、はじめて華厳経を講じた。そのため、審祥を元祖とする華厳経が、東大寺を根本道場として成立した。
ウィキペディアからの引用で申し訳ないけれども、華厳経の内容について次の解説がある。
智顗の見解では、この経典は釈迦の悟りの内容を示しているといい、「ヴァイローチャナ・ブッダ」という仏が本尊として示されている。「ヴァイチャナ・ブッダ」を「太陽の仏」と訳し、「毘盧遮那仏」と音写される。毘盧遮那仏は大日如来と同一の仏である。・・
陽光である毘盧遮那仏の智彗の光は、すべての衆生を照らして衆生は光に満ち、同時に毘盧遮那仏の宇宙は衆生で満たされている。これを「一則一切・一切即一」とあらわす。・・
いうまでもなく、奈良の大仏さんは毘盧遮那仏である。
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