2024年3月18日月曜日

九千部山(1)名前の由来と深草の少将のみた幻

 
山頂から。テレビ塔ごしに背振山

 土曜は九千部山(845.7m)に登った。怪鳥会のメンバー4人で。基山のサービスエリアで合流して、登山口をめざした。

参加者のひとりMさんがのっけから変な夢をみたと、昨夜の夢を紹介した(夢の内容は省略)。悪夢は延々と繰り返しみるが、良夢は実現寸前に目が覚めてしまう。不思議だ。

九千部山は福岡県那珂川市と佐賀県鳥栖市にまたがる背振山系の山。筑紫野市からみると南方、基山の奥に鎮座している。

なぜ、九千部山と呼ばれているのか。アジア美術館「大シルクロード展」敦煌における法華経発掘ところで紹介した(http://blog.chikushi-lo.jp/2024/03/blog-post_11.html)が、再説する。

山名の由来については、ある民話がある。そして紹介者によって微妙なニュアンスの違いがある。ウィキペディアによるとこうだ。

むかし天暦5年(951年)頃、隆信沙門という若い僧侶が台風と病気に苦しむ村人のため山頂で法華経を49日間で一万部(1万回)読誦する決心で山に籠もった。

あと7日目という夜に白蛇に遭遇、その後美しい女の幻に誘惑され負けてしまう。

満願の50日に僧侶を探しに来た村人は、谷の岩陰で骸となった僧侶を発見する。こうして読誦が「九千部」に留まったため、これが山名となったという。

僧侶が白蛇に遭ったり、美女の幻をみたり、そのときがちょうど九千部読誦したときだったなどの事実は、いったい誰が目撃したり、聴取したりしたのだろうか。反対尋問の種は尽きないが、この話は江戸時代に書かれた「歴代鎮西史」に記述があるようだ。

このままでは青少年の教育上よくないと判断されたのだろうか、僧侶が女の幻に誘惑され負けてしまったくだりが省略されてしまっているバージョンもある。

 https://sagamichi.jp/kusenbu/

人生の最も大切な、あるいは、味わいのある部分を省略してしまうのはどうなんだろう。

山頂部の案内によると、僧侶は極度の疲労の結果、白蛇や美女の幻覚をみたのだという説明になっている。これが最も説得力があると思う。山の遭難体験記を読むと、遭難して山中で一週間も生存していると、幻覚・幻聴の症状があらわれるというから。

ところで、この話は深草の少将の「百夜通い」に似ている。少将は小野小町を愛した。小町は「私のもとへ百日間通いつづけたら結婚してもいい」と言った。少将は九十九夜通ったが、最終日は雪が降り、雪山(伏見山のあたり)で遭難したため叶わなかったという。

深草の少将は凍死寸前、小町と結ばれる幻をみただろうか(いまどきなので少将は柄本佑、小町は吉高由里子で、イメージを思い浮かべてくだされ)。

われわれの良夢が実現寸前で目が覚めてしまい叶わないのは、深草の少将のたたりかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿