2023年4月27日木曜日

六甲山全山縦走(1)と源氏物語、平家物語、笈の小文

 




 この間、顧問会社の社員旅行に招待されて四国・松山、登山グループ怪鳥会の春登山で六甲山全山縦走、薬害肝炎原告団総会で岡山・倉敷に行った。

どれから書いてもよいけれども、写真の利用しやすさから、六甲山全山縦走についてまず書こう。

怪鳥会では、これまで春登山として、山口県の寂地山・十種が峰、熊本県の仰烏帽子・岩宇土山、大分県の由布岳、宮崎県の大崩山などに登ってきた。

ことしは目先をかえて神戸まで遠征し、六甲山を全山縦走することにした。西の須磨から東の宝塚まで、全部で44.6km、コースタイムで14~15時間のコースである。

わが会の実力に照らし、これを3日間にわけて縦走することにした。山上や有馬温泉での宿泊もありえた。が、交通の便が発達していることもあり、三ノ宮あたりのビジネスホテルに2泊した。夜は中華街や神戸牛で英気を養おうというグルメプランでもある。

初日は、朝一番の新幹線で新神戸まで。そこから地下鉄で板宿まで。そこから山陽電鉄で須磨浦公園まで。駅を降りると、すぐに旗振山への登山道である。

須磨といえば、ふるくは在原行平が流された場所。中納言行平は、業平の兄で百人一首にも歌をとられている。

 立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かばいま帰り来む

この故事に着想をえて、紫式部も源氏物語の須磨の段を書いたとか。光源氏もここで謹慎・蟄居した。そして西に転進して明石の地で、再び上げ潮に乗ることになる。

行平の故事はお能の『松風』にもなっている。松風と村雨の姉妹の海女は行平においてけぼりをくうのであるが、それは先の歌のイメージによるものである。

さらに平家物語でも悲劇の舞台となった。須磨の隣は一ノ谷。源平の激戦地だ。戦に敗れた平家の悲劇が伝わる。いまも須磨寺には、敦盛と熊谷直実の像がある。

これら故事は江戸時代の松尾芭蕉も感動させずにはおかなかった。「笈の小文」のラストで、芭蕉は須磨・明石を訪ねている。旗振山の峰続きに鉄拐山がある。芭蕉は平家物語に習って少年を先導にたて、ヒーヒーいいながら登っている。

昭和になってからは新田次郎の『孤高の人』の主人公、加藤文太郎だ。加藤はわれわれと違い、単独行の人である。和田の造船所ちかくの寮を出発し、一日で全山縦走し、その日のうちに寮に帰っていたという。驚くべき脚力だ。

こうした幾重にも積み重なる故事は、われわれが六甲山全山縦走をめざした動機のひとつである。

旗振山からは、西に、明石海峡、明石海峡大橋、淡路島をのぞむことができた。ぼやけているのは、腕のせいではなく曇天のせいだ(1枚目の写真)。

春の山行の楽しいところは、花の時期だということだ。六甲山も花の時期だった。道中、ミツバツツジやアセビが咲き乱れていた(2枚目の写真)。

この日のクライマックスは馬の背という難所。宝満山程度の標高ながら、北アルプスの雰囲気を楽しむことができた(3枚目の写真)。

六甲山はなだらかなようだが、小ピークが連続していて、たいへん。六甲というも、もっとたくさんある。登山道もつづら折りではなく、直登になっていたりして、しんどい。

旗振山のつぎは高倉山、高倉天皇の高倉だろうか?その次は栂尾山、そして横尾山とつづく。

難所は意外なところにあった。コースはときおり住宅街を突っ切ることになる。横尾山を下りて住宅街をつっきっていたら、道をみうしない迷ってしまった。

精神的ダメージを負ったわれわれは、次の高取山まででこの日の登山をあきらめた。高取山からは、東に、神戸市街をのぞむことができた(4枚目の写真)。

そこから降りて、鵯越駅から電車に乗った。鵯越(ひよどりごえ)は、鵯越の逆落としで有名なところだ。詳しくは平家物語をご覧あれ。

                                    (つづく)

0 件のコメント:

コメントを投稿