大宰府政庁跡あたりを歩いていたら、桜もそろそろ終わりで、桜吹雪が散り敷いていた。すると、ギャギャッという動物園で聞くような鳴き声が。
一瞬、猿かなにかと思ったが、よく考えてキジだと思い当たった。このあたりでキジにであうのは3回目である。出会わないけれども、鳴き声だけ聞こえたことも2度ある。
鳴き声のしたほうへ接近していくと、左手方面から右手方面へキジくんが歩いている。かれもまたお散歩中のようである。
これまでは近づくと逃げてしまっていた。今回は3度目のせいか、ちかくまで寄ってもあまり逃げようとはしなかった。おかげで、かなり近くで写真を撮ることができた。
よく見ると、すごく派手だ。顔面は真っ赤。お面をかぶっているよう。歌舞伎役者も顔負け。デコルテには紫とエメラルドグリーンのチョーカー。胸のあたりはビロードような緑。背中は緑と茶でリズミカルなうろこ模様。そして尻尾が水平にピントのびて美しい。
あいにく吉備団子を持参していなかった。30分もあれば梅が枝餅を買ってこれそうだが、間に合いそうもない。残念ながら、鬼退治の家来にしそこねた。
雉も鳴かずば撃たれまい。あまりよい意味のことわざではない。たとえば、悪代官と越後屋が謀議をしている・・。
越後屋:お代官さま、最近、神田町の佐平治のやつがわれわれのことをしきりと嗅ぎ回っていますぜ。
悪代官:心配するな。始末するよう、配下の者にすでに指示しておる。
越後屋:さすがお代官さま、手回しが早い。それにしても佐平治のやつ、雉も鳴かずば撃たれまいに。
みたいな。わがキジくんも鳴かなければ、写真に撮られることもなかったろう。つまり、キジも鳴かずば撮られまい。
ところで、キジはケーンケーンと鳴くといわれる。しかし、そうは聞こえない。さきに書いたようにギャギャッと聞こえる。動物の鳴き声というか金属音ぽいというか。
どちらでもよいかもしれないが、芭蕉の句があるので、そうもいかない。『笈の小文』に、つぎの句がある。
ちゝはゝのしきりにこひし雉の声
笈の小文の旅中、杜国とともに高野山を訪ねたときの句。奥の院には戦国武将の墓がたくさんある。松尾家は武家でもはしくれのほうだったらしいが、その墓もあったらしい。
これには本歌がある。
山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ
行基菩薩の詠という。ほろほろでないことは明らかだけれども、ケーンケーンなのか、ギャギャッなのか。句の印象はだいぶ違う。
後者の「鋭く哀切な響き」に芭蕉の父母への愛を感じるべきなのであろう。もちろん雉、雉鳴くは春の季語である。
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