今朝も西鉄二日市駅は、筑陽高校や産業高校の生徒であふれていた。やはり謎だ。なぜ、春先だけこのように多いのか。なぜ、季節が進行すると少なくなるのか。少なくなった人たちはどこへ消えてしまうのか。みなが不登校というわけではあるまい。リタイアしたときの研究課題としたい。
ぼくは高校時代、自転車通学だった。下松町桜ヶ丘から岸和田高校まで。往きはよい、下り坂だから。しかし帰りはたいへんだ、登り坂だから。そこで日々鍛錬し、いつ来るともわからぬ機会に備えたわけである。おかげでいまでも元気に山に登ることができている。
電車通学の連中がうらやましかった。自転車通学ではまったく出会いがない。下手すると脇見運転で交通事故につながりかねない。電車通学で知り合う高校生のドラマを見た日には、やるせない気持ちになった。
ところが夢はかなった。高校3年生のとき、父が九州へ単身赴任し、残された我々は泉佐野市日根野の社宅に引っ越したのである(いまはない。)。父が転勤しなければ、九州の大学を受験することもなかったと思う。運命の分かれ道である。それはまた別の機会に書こう。
ともかく日根野から南海本線の泉佐野駅まで自転車、そこから蛸地蔵(たこじぞう)駅まで電車通学となった。1年間いろいろあった。しかし期待したような車中での劇的な出会いはなかったとだけ言っておこう。
頭のなかが、なぜ、高校時代モードになっているのか。それは・・・。
きのうもきのうとてブログを書いた。「事務所春研修ー不易流行」である。昼過ぎ、メッセンジャーでメッセージが届いた。なんと高校時代の恩師からだ。「今朝のブログですが、いしづえ、は礎では?」。
たしかに(赤面)。「わが事務所の発展の礎となるもの。」のくだり。礎ではなく、石杖と誤記してしまっていた。ただちに訂正した。
恩師がブログを読まれていることにビックリ。恐縮してしまった。そして誤記に対するご指導。45年たったいまでも、高校時代の師弟関係のままにあたたかいご配慮をたまわったのであった。ありがとうございます!
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