土曜日はわが事務所のアクティビティ同好会で、太宰府路を散策した。同会は基本的に自主練で、アプリをつうじて各人の活動状況が知れるというもの。今回は初の合同参加企画となった。
午前10時に西鉄都府楼前駅に集合。ときどき雲に覆われるも秋晴れの晴天であった。子ども2人(小6と6歳)を含む総勢5人で出発。ときおりキンモクセイが香り、秋の気配濃厚である。
同駅の近くには刈萱の関跡があるのであるが、メンバーの要望で省略。むかしは大宰府政庁への出入りは自由でなく、関所で検問が行われたのであろう。刈萱は説経節の石堂丸になっているし、関屋の地名のもとになっている。
水城小学校・学業院中学校前を通り、坂本八幡宮へ。八幡宮は、令和のゆかりの地として全国的に有名となった。
それは、八幡宮が大宰府(太宰府ではない。)政庁跡の北西角にあり、大宰帥(大宰府の長官)であった大伴旅人の屋敷跡の候補地の一つとなっているからである。
そのころの文献はあまり残されていない。じゃなにが根拠かというと万葉集の一節である。
万葉集によると、大伴旅人は、九州の官人を集めて、梅花の宴を催した。そのなかには筑前国主の山上憶良もいた。
そのときの歌が32首残されている。その序文にこうある。
初春の令月にして 気淑く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす・・
「このなかに令和が隠れている、令和をさがせ!」
子どもたちは、すかさず探しだした。
八幡宮前からは四王寺山の登山口への道がのびているが、きょうは山へはいかない。裏の田畑側から政庁跡へ。
畔道からバッタがつぎつぎと飛び出していく。ハーモニカの演奏をしているグループや虫取りをしている親子がいる。
大極殿跡で記念撮影。奈良の平城京跡は建物が復元されているけれども、こちらは礎石のまま。ぼくはこちらのほうが好きだ。イメージを触発されるし、広々とした空間が開放感を呼ぶ。
続く。
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