四王寺山を散策した。ことしの紅葉もこれで最後だろう。
夏、酷暑がつづいたため、どこも色づきはよくない。紅葉は昼夜の寒暖差によって緑から赤あるいは黄に変わる。
ことしは紅葉するまえに霜がおりたりして、赤あるいは黄に変わらないまま茶色になり落葉してしまっている。残念。それでも写真のとおり、紅葉を楽しむことができた。
夕方のニュースでは竈門神社の紅葉を推奨していた。たしかに。だがしかし天満宮前の渋滞等を考慮して四王寺山へむかうことにした。
宇美町側(北側)から四王寺山に入ってくると、すぐ百間石垣がある。車でも行くことができる。わずかながらも駐車スペースがあり、いつも数台の車が駐車している。
その手前を左折すると、鮎返りの滝がある。三十三所めぐりの20番札所となっている。滝の上部から小石垣手前の川べりまで紅葉が美しい。数組の女性グループが一生懸命、写真を撮っていた。
つぎにお奨めなのは高橋紹運の墓のあるあたり。太宰府側(南側)から四王寺山へ入っていく。くねくねと坂をあがると、右手に岩屋城跡の標識がある。
戦国末期、九州制覇をめざす島津軍4万人が北上してきた。これに対するは大友宗麟の配下である高橋紹運とその部下700人。高橋紹運らは岩屋城にたてこもり玉砕した。
いつもなら岩屋城跡に登り、そこからの筑紫平野のながめが気持ちよい。しかしきょうはそちらにむかわず、左手を100メートルほど降りる。
そこに高橋紹運の墓がある。高橋紹運の子は柳川藩主である立花宗茂である。立花家は柳川城主として江戸期を全うした。そうしたこともあり、墓はいまもきれいに整備・清掃されている。
その手前にモミジの巨木が数本あり、みごとな紅葉をみせてくれる。ことしは赤ではなく黄色のままだ。
来年はどうだろう。地球温暖化の勢いはとどまるところをしらない。紅葉の見事さは年々失われることになるだろう。残念ながら。
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