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2021年12月23日木曜日

シンクロニシティ

 

 西鉄都府楼駅をおり、北側にいくとすぐ都府楼前駅の交差点だ。左折すると御笠川に刈萱大橋が架かっている。

交差点を直進して御笠川をわたると日田街道である。T字路を左折して150メートルくらい行くと左側に「刈萱の関跡」がある。

水城堤防はいまJR線や高速道路に寸断されている。しかしかつてはここしか通り道がなく、関所になっていた。刈萱の関である。大宰府への入口であり、出口でもある。

 かるかやの関守にのみみえつるは人も許さぬ道べなりけり

道真公の歌にも歌われている。大宰府に左遷され都へ戻れぬ現実を、ここで強く感じられたことだろう。

もちろんいま関所はなく、黒い大理石の碑がひっそりとたつのみである。うちの秘書さんもこのちかくに住んでいるけれども知らないのではなかろうか。

太宰府観光協会のHPによると、「刈萱道心と石童丸」の伝説でも有名とある。有名といわれても、そもそも刈萱の関を知る人がすくないのであるから、この伝説を知る人も多くはあるまい。

さてこのブログを読んでくださっているかたにはうっすら記憶があるかもしれない。この間のブログの流れはこうである。

①講演をたのまれ和歌山へ出張した。
②出張ついでに、翌日は槙尾山・施福寺に、翌々日は道明寺・道明寺天満宮にそれぞれ参拝した。
③道明寺参拝の旅の記憶を反芻するために、道明寺がでてくる『菅原伝授手習鑑』を反芻読書した。
④『菅原伝授』は日本文学全集10のなかの一話である。つづけて同書の『義経千本桜』、『仮名手本忠臣蔵』も読んだ。

さらに『曽根崎心中』(いとうせいこう訳)、『女殺油地獄』(桜庭一樹訳)を読み、つづけて説経節(伊藤比呂美訳)を読んでいる。

小学館の『日本国語大辞典』によると、説経節は説教浄瑠璃で語られる曲節。説教浄瑠璃は語り物の一種。

仏教の説教が歌謡化し、江戸時代初期に流行した民衆芸能とある。ラジオやテレビのない時代、民衆の娯楽、楽しみだったのだろう。

説経節として知っていたのは『小栗判官』だったけれども、本書にとりあげられていたのは『かるかや』。これがまさしく先の「刈萱道心と石童丸」の伝説である。

刈萱道心はもと、筑前の国、刈萱の荘、加東左衛門重氏。重氏は松浦党の総領。松浦党は武士の大集団、筑後、筑前、肥後、肥前、大隅、薩摩の6か国をおさめていたという。

筑前の国、刈萱の荘といわれると思考停止する人が続出すると思うけれど、なんのことはない、先の「刈萱の関跡」あたりである。そこにいまでいえば、福岡高裁の長官が住んでいたと思えばそれほどおおきな間違いではあるまい(ただし重氏はいまだ21歳)。

人はいつ、どのようにして発心(ほっしん)するのか。それを書いたものが『発心集』らしいが、いまだ読んだことはない。重氏は、花見の宴で、桜が盃のなかにはらりと落ち、くるくる回ったのを見て発心したという。

発心した重氏は領地も家族も捨てて出家した。家族には妻、3歳の娘のほか、妻のお腹のなかの男の子もいた。男子が石童丸である。

出家した重氏は刈萱道心と呼ばれ、京都の法然のもとで修行にはげんだ。13年経って妻子が尋ねてくる夢を見、対面を避けるため高野山に逃れた。高野山は女人禁制であり、妻が追ってこられないからである。・・・

「刈萱道心と石童丸」らの苦難の人生は佳境に入っていくのであるが、その前にいまでいえばCMのようにして、高野山の説明がながながとなされる。なんの話だったか忘れそうである。

と思っていたら、高野山をひらいた弘法大師空海が剃髪・出家した話がでてきた。その場所がどこあろう、槙尾山なのだ。

槙尾山か、懐かしいな。と思っていたら、まてよ、空海が剃髪した場所・・・たしか施福寺の坂の途中にあったよな。参拝したときの写真を検索するとたしかにあった。

まず愛染堂(上の写真)。またの名は弘法大師剃髪所跡。空海が得度して剃髪したとされる。つぎに弘法大師御髪堂(下の写真)。空海の剃髪した髪が祀られている。

かくて和歌山出張の旅は→槙尾山・施福寺→道明寺→『菅原伝授』→日本文学全集10→説経節『かるかや』→弘法大師剃髪所跡→槙尾山・施福寺という円環をなして、みごと完結したのでありました。

2021年12月17日金曜日

『菅原伝授手習鑑』


  道明寺、道明寺天満宮を訪れたので、旅の反芻もかねて、『菅原伝授手習鑑』を反芻読書した。

とはいっても、オリジナルの脚本ではなく、河出からでている日本文学全集10のなんちゃって現代語訳である。とはいっても、三浦しをん訳。とても読みやすい。

とはいっても、最初はとても戸惑う。平安時代の話なはずなのに、江戸時代に書かれた脚本なので、セリフや風俗などは江戸時代である。ま、当時からなんちゃって江戸時代訳だったわけである。

でも二読、三読するうちに、そんな違和感はなくなってしまう。いつしか江戸時代の観客と一体化して舞台に見入り、手に汗をにぎってしまう。

時の権力者である藤原時平やその子分たち、かれらの悪逆非道に負けるな道真公!

面白かったので、つづけざまに『義経千本桜』まで読んでしまった。こちらはいしいしんじ訳である。現代の売れっ子小説家による、江戸時代の売れっ子脚本家の翻訳であるから、手慣れたものだ。

義経もでてくるが、主役は彼らをめぐる人物群像である。源平合戦も、壇ノ浦の戦いはでてこない。屋島の戦いのなかで済まされてしまう。こまかいことは気にしない。

壇ノ浦や熊野沖で死んだはずの、安徳天皇や平の知盛、維盛、教経も生きている。そして義経一行にからんでくる。だいたい義理と人情の板挟みというやつだが、いまでも面白いし感動する。

これかと思ったものがあれだったりして二転三転する。ハリウッド映画のようだ。逆か。真似たとすれば、ハリウッド映画のほうだ。この点は歴史的に明らかだ。

さらに『仮名手本忠臣蔵』まで読み進んでしまった。松井今朝子訳というのがいい。『義経千本桜』読了の日がちょうど12月14日だったこともある。討入りの日だ。流れで『仮名手本忠臣蔵』に討ち入ってしまった。

これも読みやすくはない。実話のとおりに書くと、江戸幕府を批判しているともとられかねない。当時の脚本家がその点をはばかって、時代を足利幕府に設定しているからだ。

登場人物は、吉良上野介と浅野内匠頭ではなく、高師直と塩治判官となっている。吉良上野介の役職「高」家→「高」師直、赤穂藩主・浅野内匠頭→赤穂の特産は塩→塩治。こうしたサジェスチョンにより、当時の観客にも実は赤穂浪士の討入りの話だと分かる仕組みになっている。

こちらも読みながら、頭の中でいちいち翻訳しなければならない。足利時代→江戸時代、さらに現代への三段跳び。言論の自由がないというのは、じつに不自由なことだ。

12月10日フィリピンとロシアのジャーナリストにノーベル賞が授与された。彼らが命がけで表現の自由を守っているからだ。

朝ドラ『マー姉ちゃん』でも、太平洋戦争がすすむにつれ言論統制が厳しくなってきた。いま思えばこっけいなことばかりだ。でも当時はみな「死ぬほど」まじめにやっていたのだ。

いまの日本はどうだろう。権力悪にたいし真相究明・真相解明がなされているだろうか。たとえば、森友学園をめぐる財務省の公文書改ざん問題。

自殺した財務省職員の妻が裁判で損害賠償を求めた。国は争わずして妻の請求を全面的に認めた。なぜか。公文書改ざん問題の真相を法廷で追及・明らかにされたくなかったためだろう。

しかし、それでは逆だ。国は責任を全面的に認めたのであるから、すべての真相を明らかにする責任がある。そうでなければ、天神さまの怒りに触れ、天罰がくだること疑いない。

2021年12月16日木曜日

道明寺、道明寺天満宮、葛井寺参拝記

 




 
 古市古墳群のなかには、道明寺、道明寺天満宮、葛井寺が点在しているので、これら寺社もあわせて参拝した。

道明寺、道明寺天満宮は、天満宮とあるとおり、菅原道真公とふかいかかわりがある。道明とは道真の号である。花団とはなんの関係もない(神尾葉子の頭のなかは知らないが)。

菅原氏はもと土師氏で、葬送を職掌としていた。土師氏の家祖は野見宿禰であり(相撲の祖神でもある。太宰府天満宮に碑と力石がある。)、根拠地はこのあたりだった。近鉄道明寺駅の隣は土師ノ里駅である。

野見宿禰の野見は、陵墓に適した土地を探す意味だとか。宿禰は王の死に際し、殉死の代わりに、陵墓をかざる埴輪を考案したとされる。そのことから土師氏(埴輪をつくる人々)の姓とこの地を与えられたという。

道明寺はもと土師寺と呼ばれ、土師氏の氏寺だった。道真の叔母にあたる覚寿尼はこの寺にいた。大宰府に左遷される際、道真は同女を訪ね、別れをおしんだ。

歌舞伎、人形浄瑠璃の演目に『菅原伝授手習鑑』がある。道真が藤原時平の陰謀により大宰府に流された事件をめぐる群像劇である。博多座でも地元ものであるせいか、何度かかかっている。

そのなかでも、道真と覚寿尼が別れを惜しむシーンがでてくる。今回、道明寺を訪ねてみようと思ったのも、そのせいである。

謡曲にも『道明寺』がある。道明寺で、僧尊性が天神の使いである白太夫の神から菅公と道明寺の関係を聞き、木げん樹の実を数珠玉として与えられる話である。

同寺には道真が彫ったといわれる国宝の十一面観音があるが、この日は開帳されていなかった。残念。

天満宮も、もとは土師神社。道明寺と習合していた。大学同級生のお連れあいがこのあたりのご出身だそうだ。子どもさんが小さいときは七五三などよくお参りしていたらしい。この日も何家族かお参りしていた。

結びは葛井寺(ふじいでら)。藤井寺市の葛井寺。西国三十三所5番札所。本尊は十一面千手千眼観音、国宝である(秘仏)。

帰りは天満にある食器等ギャラリーを訪ねようと思った。が、リサーチ不足。日曜は休業日だった。上記各観音さまの拝観ともども、またの機会をうかがいたい。