大糸線。信濃大町と糸魚川を結ぶ。JR西日本旅客鉄道が管轄している。このあたりほとんどが三セク化されているところ、沿線に白馬などの観光地を抱えていることからJR線として残されたのだろう。
糸魚川というが、市内を糸魚川という川が流れているわけではない。流れているのは姫川である。先に紹介したヒスイ峡からヒスイを運んだ川である。大糸線は、糸魚川から姫川に沿って南下する(実際は高度を上げていく)。
電車の背後に根地駅がある。
根地駅越に、姫川渓谷や白馬方面を望む。
姫川の支流、根地川。手前の鉄橋は大糸線である。後ろの山影は右が雨飾山(日本百名山)、左が駒ヶ岳。
なぜ、根地まで来たかというと、フォッサマグナをじかに見てみたかったからである。ここにはフォッサマグナパークがあり、フォッサマグナをじかに見ることができる。この旅、最大の目的地である。
フォッサ・マグナはラテン語。英語では看板にあるとおりMajor Fault、日本語で大きな溝である。いまの日本地図をみなれたわれわれには想像しづらいのであるが、本州は太古、東本州と西本州にわかれていた。本州と北海道、四国、九州のように、東本州と西本州との間にも海があったのである。これが大きな溝と呼ばれるゆえんである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%8A#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Tectonic_map_of_southwest_Japan.png
もちろんその後の大きな地殻変動により、フォッサマグナがあったところには火山や堆積岩で陸地になっている。
だから、北アルプスに登って東をながめても、フォッサマグナを実見することはできない。
それなのになぜそのようなことが言えるかというと、地質構造の大きな違いからである。西本州の地層が古いのに対し、フォッサマグナのほうが新しく火山噴出物で構成されているのである。
糸魚川駅から南東に頚城山塊(雨飾山を含む)、南西に北アルプス北部が見えていた。西本州にあたる北アルプスの地層が5000-6500万年前のものであるのに対し、頚城山塊は2500万年前以降の火山噴出物なのである。
フォッサマグナを発見し公表したのは明治期のお雇い外国人ナウマンである(1885年の論文。ナウマンは1854年生まれであるから31歳ころ)。ナウマン象の化石を発掘した、あのナウマンである。すごい。小泉八雲以上かもしれない。
フォッサマグナパークの核心部。西(左)側が西本州、東(右)側がフォッサマグナであたところである。自然のものではなく、分かりやすく露出させているもの。
誤解しないようにしないといけないのは、フォッサマグナは面。ここはその西端の線である。糸魚川静岡構造線という大断層である。フォッサマグナの東端がどこであるかは議論がある。
フォッサマグナパークから南を望む。手前は根地川であるが、川向こうやや左手に大きな酒造屋がみえている。糸魚川静岡構造線は、あのあたりを通って右手の山あいを越えて静岡まで続いている。
なぜ、あそこに酒造屋があるかというと、糸魚川静岡構造線からおいしい水が流れくるからである。
このあたりは、越後と信濃を結ぶいわゆる塩の道でもある。ここらあたりを通って塩や海産物を内陸まで運んだのである。姫川は暴れ川だったので、川沿いは危なくて通れない。そこでやや山沿いに道はつけられている。
糸魚川市内に戻る。南の丘のうえにフォッサマグナ・ミュージアムがある。フォッサマグナパークで実見したことを、ヒスイや火山岩・変成岩などが展示されている。理解が深まった。
ちかくに長者ヶ原遺跡がある。縄文時代にヒスイをつかって勾玉を製作していたらしい。
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