2023年3月15日水曜日

医王寺@おくのほそ道

 



 東北南部の山旅は4日間を予定していた。しかし、残る2日間は北風が強く、山上では風速20メートルを超えることが予報されていた(実際、平地でも北風が強かった)。そのため、登山はあきらめ、おくのほそ道・芭蕉の足跡をたどることにした。

まず訪れたのは医王寺である。といってもほとんどの九州人は知らないだろう。下記地図を参照してほしい。福島駅から北へ福島交通・飯坂線がのびている。それに乗って8つ目の駅が医王寺前になっている。そこから北西へ歩いて15分である。地図を拡大するとわかる。

しのぶの里のことは、以前、本ブログに書いたことがある(1枚目の写真)。そう、河原左大臣による有名な和歌ゆかりの地である。

 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆえに乱れそめにしわれならなくに

地図を拡大すると、福島駅の東北東、115号線を行ったところにある。文知摺観音(もぢずりかんのん)とあるのがそれだ。芭蕉一行はそこから北北西へ北上した。

福島駅の東には阿武隈川が流れている(2枚目の写真)。流れは北上している。宮城県に入り、あとで紹介する岩沼駅の手前で180度向きを変えて南流し、太平洋にそそぐ。

一行は月の輪の渡しで、川を越えた。そして瀬の上という宿に出た。瀬上は阿武隈急行線の駅もあり、どこであるかはわかりやすい。

そこから西方向は飯塚の里である。鎌倉殿の十三人のドラマがはじまったころ、ここを治めていたのは佐藤庄司(基治)である。かれは奥州藤原氏の家臣で、義経の忠臣である継信・忠信の父である。

芭蕉は悲運の義経ファンであるから、その忠臣である継信・忠信もだいすきである。ついでに、その父・佐藤庄司や継信・忠信たちの嫁までだいすきだった。

佐藤一族の菩提寺が医王寺である(3枚目の写真)。薬師如来を本尊とする真言宗の寺である。むかしの医療は漢方薬の投与が基本だから、薬師如来=医王なのである。

本堂の左手の杉木立を進むと、その奥に薬師堂がたっている。佐藤基治が建立したという。その回りに、基治や佐藤兄弟の墓がある。墓といっても、いっぷう変わっていて、石版の碑である(4枚目の写真)。

杉木立を戻ると本堂横に瑠璃光殿という宝物殿がある。そこに弁慶の笈など、ゆかりの品々が展示されている。芭蕉は感動のあまり、涙を落とし、袂をぬらした。

 笈も太刀も五月に飾れ紙幟

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