2023年3月22日水曜日

笠島@おくのほそ道



 芭蕉一行は、飯塚温泉から、桑折駅に出て、伊達の大木戸を通過した。桑折駅は、いったん福島駅に戻り、東北本線で北上し3つ目の駅である。

伊達の大木戸は隣の藤田駅の先。国見町文化財センターあつかし歴史館あたり。いまは4号線が走っていて、むかしの大木戸の雰囲気はない(江戸時代の雰囲気を知っているわけではないけれども)。ここから先は宮城県である。

さらに鐙摺・白石の城を過ぎ、笠島の郡に入る。地理的にも実際の行程的にも岩沼が先であるが、ここでも前後のつながりから、芭蕉は笠島のことを先に書いている。

笠島は、芭蕉が心を寄せる中将・藤原実方ゆかりの地だ。実方は清少納言ともつきあいのあった風流貴公子。宮中で喧嘩をしてしまい、天皇から「陸奥の歌枕見てまいれ」と陸奥守に左遷された。陸奥だから右遷だろうか。

笠島には道祖神の社がある(2枚目の写真)。道祖神は旅の神である。実方はその社前を乗馬のまま通りすぎようとしたため、神の怒りにふれ、客死したとされる。こんかい訪ねたときは、大学生たちが映画を撮っていた。

道祖神の社から北にすこし行くと、実方の墓がある(3枚目の写真)。実方は在原業平にも比せられる貴族だが墓は質素だ。

これまた芭蕉が敬愛する西行も墓参りをしている。詠んだ歌はこれ。

 朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置きて枯野の薄かたみにぞ見る

かたみの薄はいまもあるが、当時のものではないだろう(行けばわかる)。

ところが、芭蕉はじっさいには道祖神の社にも、実方の墓にも参っていない。遠くからながめただけである(1枚目の写真)。五月雨に道いと悪しかったことが理由である。疲れていたのか、完全(予定調和)になることをきらったのか。

 笠島はいづこ五月のぬかり道

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