2023年3月16日木曜日

飯塚温泉@おくのほそ道

 



 このあたり、九州人には土地鑑がないだろうから、やはり地図を参照しながら進むことにしよう。 https://www.google.com/maps/place/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E5%B8%82/@37.8277075,140.4424568,16z/data=!4m6!3m5!1s0x5f8a8ed12a3a4dd9:0xc064d0fc14fe346!8m2!3d37.7607991!4d140.4747855!16zL20vMGdxa3g


地図を開いてもらうと、左下のほうに瑠璃光山・医王寺がある。ここが出発点である。このあたりから北に、佐藤庄司(基治)の居城跡を望むことができる。1枚目の写真の左側の小山である。山の名は館山(丸山)、あるいは、大鳥城跡ともいう。いまは館ノ山公園として整備されている。

そこから飯坂温泉へむかう。一般的には医王寺前駅に戻って鉄道を利用するのだろうが、グーグルさんで検索して、歩いてもいけると判断した。寺の横の細い道をおり、果樹園のなかをとおりと5号線にでた。そして花桃の公園、花水坂駅をとおり、飯坂温泉駅に着いた。

ここまで読んできて、飯塚というのは飯坂の誤植ではないかと思ったかたもあるだろう。しかし、おくのほそ道では、たしかに飯塚と表記されている。むかしは飯塚と呼ばれていたのであろう。

飯坂駅横に芭蕉像がたっている(2枚目の写真)。文人画などでじいさんぽく描かれることの多い芭蕉であるが、この像はとても凜々しい。1日40キロも歩いた健脚の芭蕉としては、こちらの像のイメージのほうが似つかわしい。

芭蕉像の後ろは摺上川が流れていて、ここは十綱の渡しと呼ばれ、現在は十綱橋が架かっている。むかし十本の藤蔓で編んだ吊り橋が架けられていた。頼朝群が奥州追討に迫ってきた際、佐藤庄司はその橋を自ら切り落として迎え撃ったという。

飯塚温泉街は、歴史・規模とも日本を代表する名泉の一つとされる。温泉宿が林立し、温泉街がつづく。なかに共同浴場がいくつかあり、3枚目の写真はその一つ、鯖湖湯である。湯涌のモニュメントがユニーク。写真ではよく分からないが、この日は寒風が吹いていたので湯冷めを心配して、入湯は断念した。

飯坂温泉観光協会としては頭の痛い問題だろうが、おくのほそ道で、飯塚温泉は悪役にしたてられている。おくのほそ道は単なる紀行文ではない。山あり谷ありのドラマとして書かれている。飯塚温泉は仙台・伊達藩に入る直前に位置していることから、伊達藩入りをひとつの山(盛り上がり)にするために、飯塚温泉はそのひきたて役として谷にされたようだ。

登山をしなくとも、山と名のつくものならなんでも登りたいので、もちろん先ほどの館ノ山に登った。温泉街を西へ行く。

芭蕉の時代、麓に大手の跡などがあったようだが、いまは見当たらない。それでも二の砦跡、一の砦跡を経て、山頂にいたる。山頂は開けており、展望所からは吾妻山をはじめ福島の山々が白く輝いていた。

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