2024年6月18日火曜日

新潟の旅(1)新潟市内

 

 先週末は2泊3日で新潟を旅した。新潟の旅は初めてではない。越後駒ヶ岳、妙高山、火打山、高妻山、苗場山などの百名山は新潟県内もしくはその県境にあるのだから。

こんかいは山登りではなく旅である。お目当ては佐渡島。芭蕉『おくのほそ道』の行路はほぼ歩いたが、新潟からのぞむ佐渡というのは未踏である。

といっても、芭蕉は越後路について、体調不良を理由に極端に省筆。いわく。

 酒田のなごり日を重ねて、北陸道の雲に望む。遙々の思ひ胸をいたましめて、加賀の府まで百三十里と聞く。鼠の関を越ゆれば、越後の地に歩行を改めて、越中の国市振の関に至る。この間九日、暑湿の労に神を悩まし、病おこりて事を記さず。
 文月や六日も常の夜には似ず
 荒海や佐渡に横たふ天の河

越後路に関する記述は、地の文「越後の地に歩行を改めて」と「文月や六日も常の夜には似ず」「荒海や佐渡に横たふ天の河」の両句だけである。どこに行けばよいのか?よく分からないが、とりあえず佐渡に渡ってみよう(芭蕉は佐渡へ渡っていないが)。

まずは福岡空港から空路である。写真はジャンボジェットであるが、実際はアイベックスの小型機だった。



 初日は、新潟市内観光。観光地循環バス1日乗車券を購入してレッツゴー。新潟はアニメのまちだそう。循環バスは『ホワッツマイケル』号だった(写真は撮り損ねた。)。

 まずは白山神社。新潟県の総鎮守。上杉景勝も尊崇したという。白山は石川県にある百名山。白山神社は白山をご神体とする。随神門は筥崎宮のようであった。


 つづいて北方文化博物館・新潟分館。出雲崎の油田でもうけた清水常作の別宅跡。会津八一のゆかり。

 その裏は齋藤家別邸跡。齋藤家は新潟の財閥。家と庭がひびきあう広壮な豪邸。財閥は戦後解体されたが、佐渡汽船はその事業を継承している。



 近くには新潟大神宮。坂口安吾生誕の地碑あり。
 私のふるさとの家は空と、海と、砂と、松林であった。そして吹く風であり、風の音であった。


 また市立美術館も近い。


 新潟といえば信濃川。ご存じのとおり日本最長。北アルプスは槍ヶ岳を発して梓川、松本市で奈良井川をあわせて犀川となり、長野市で千曲川と合流する(川中島で)。千曲川は新潟県に入ると信濃川と名を変える。

 暴れ川で、むかしは再三水害をもたらした。新潟とは、文字どおり、信濃川がつくった新しい潟なのである。いまは分水して流量は3分の1となり、おだやかに流れている。新潟が米どころなのは、信濃川の賜物なのだろう。エジプトとナイルの関係のように。

 柳都大橋から河口(新潟港)を望む。右の高いビルは日航ホテル。その向こうは朱鷺メッセ新潟コンベンションセンターと佐渡汽船ターミナル。あすは、そのターミナルから佐渡を目指す。


 日航ホテル最上階から西を望む。手前の橋は柳都大橋、その向こうは萬代大橋。晴れてはいるが、残念ながら佐渡は見えない。かろうじて弥彦山の上部が見えている。


 萬代大橋横の川縁からの夕景。たくさんの市民や観光客が憩う。マンハッタンの情景かと見まがう。なことはないか。

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