佐渡の一日観光を終えたのち、フェリーにて新潟港へ帰る。ゴールデンな島にゴールデンな日が傾きつつあった。
海上ずっと佐渡は見えていた。写真では分かりづらいが、このポイントでもちゃんと見えている。佐渡は大きい。画面の右端から左端まで横おりふしている。「銀河ノ序」にあるとおり。
かささぎの渡せる橋におく霜の
カササギが架け渡した天の川の橋の上に置いた霜が、白く冴えているのを見ると、夜も更けたのだなあと思う。
佐渡がしまは、海の面十八里、滄波を隔て、東西三十五里に、よこおりふしたり。
しかし季節は夏。荒海でもないし、海面からたちのぼる水蒸気にかすんで、おぼろげである。
みねの嶮難谷の隅ゞまで、さすがに手にとるばかり、あざやかに見わたさる。
「銀河ノ序」にはこうあるが、芭蕉がこのような実景を見ることができたのかは疑問。曽良の随行日記に記された天気の様子からも実景ではないような気がする。
北陸道に行脚して、越後ノ国出雲崎といふ所に泊る。
「銀河ノ序」の書き出しはこうあるから、出雲崎での記事のように読める。しかし、随行日記によれば出雲崎の夜は7月4日夜中強雨であるし、「おくのほそ道」では荒海の句のまえに次の句が置かれている。
文月や六日も常の夜には似ず
文月は陰暦7月のこと。7月は6日も常の夜には似ていない。なぜなら、翌日は7月7日、たなばた(七夕)だから。前夜からワクワクする。
そうなると、荒海やの句は当然、7月7日たなばたの句として読まなければならない。七夕は年に一度、織女と牽牛が出逢える日。天ノ川にカササギたちがやってきて橋を架けるという。
かささぎの渡せる橋におく霜の
白きを見れば夜ぞふけにける 中納言家持
カササギが架け渡した天の川の橋の上に置いた霜が、白く冴えているのを見ると、夜も更けたのだなあと思う。
百人一首6番の歌。
(カササギ)
七夕であれば、越後の海岸にたつ芭蕉と佐渡の織女との間に、荒海をこえてカササギが橋を架けたイメージも湧く。月島軍曹の求愛のセリフもかぶせやすい。
この島に俺の居場所はないけれど・・・
戦争が終わったら一度だけお前のために帰る
その時に駆け落ちしよう
戦争が終わったら一度だけお前のために帰る
その時に駆け落ちしよう
実際、荒海やの句は、7月7日、今町(直江津)で行われた句会で初披露されている。しかし随行日記によれば7日も雨。
そんなこんなを考え、「おくのほそ道」の越後路に「銀河ノ序」を貼り付けることもできたはずであるが、大胆な省筆を施して、文月やの句と荒海やの句を夫婦岩のように屹立させて、句のイメージのみをもって語らせたのではあるまいか。
暑き日を海に入れたり信濃川
※現代語訳等は『ビギナーズクラッシック日本の古典 百人一首(全)』谷知子編によった。
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