佐渡の島内は観光バスの旅となった。観光バスで旅をするのは高校生時代以来ではなかろうか。運転手さんが現地まで運んでくれ、バスガイドさんの案内にしたがっていればよく、お気楽な旅である。
まず連れて行かれたのは、トキの森・佐渡トキ保護センター。トキがニッポニア・ニッポンと呼ばれること、絶滅したことは小学校の教科書で習ったと思う。関係者の努力で再生し、いまでは600羽以上を野生にかえすことができているという。
生きているトキの写真も撮ったのだが、上記写真は最後のトキの剥製。トキは臆病な生き物らしく、生きたトキは遠くかゲージのなかにおり、あまりうまくは撮れなかったから。
つぎに連れて行かれたのは佐渡の酒蔵。残念ながら下戸なので試飲はできなかった。
そのつぎは歴史伝説館。佐渡に流された人たちのことを紹介している。佐渡に流された人として、誰が思い浮かぶだろうか?
佐渡に流された人の筆頭は順徳院である。芭蕉の「銀河ノ序」にある「大罪朝敵のたぐひ、遠流せらるゝ」人の筆頭が順徳院というのは歴史の皮肉。ここで朝敵とは朝廷の敵ではなく、鎌倉幕府、あるいは北条義時の敵という意である。
この歌が詠まれた当時、承久の乱はいまだ起きていないが(5年前)、その後佐渡に流されたうえ、そこで亡くなるという自分の運命を予言したような歌。
百人一首の掉尾、100番の歌。近江神宮に祭られている天智天皇を第1番としてはじまった百人一首は佐渡に流された順徳院で終わる。
百人一首の撰者である藤原定家は順徳院と同時代人。承久の乱後の処分に巻き込まれることは避けられたが、定家もまた順徳院とともに昔の御代を偲んだのである。
順徳院のつぎに紹介されている流人は日蓮聖人、最後は世阿弥である。世阿弥は足利義満に重用されたが、義教に流刑される。
権力に近づきすぎた芸能者の運命か。だが秀吉に切腹を命じられた千利休よりはましかもしれない。世阿弥流刑のおかげで、佐渡ではいまでも能が盛んである。
※現代語訳等は『ビギナーズクラッシック日本の古典 百人一首(全)』谷知子編によった。
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