2日目。佐渡へは新潟港からジェットフォイルで約1時間。佐渡は新潟のほぼ西に位置しているので、まっすぐ西に進む。
船名は銀河(ぎんが)。この旅にぴったり。いわずとしれた芭蕉の句の「天の河」から採られたにきまっている。
『おくのほそ道』本文はきのう紹介したとおり、越後路は省筆がはなはだしい。しかし、芭蕉はいきなり本文を書き下ろしたわけではなく、歌枕や句会など要所ごとに俳文を書きためて、それらに基づいて本文を書いている。
荒海やの句にも俳文がある。「銀河ノ序」という(小学館・日本古典文学全集71巻より)。
北陸道に行脚して、越後ノ国出雲崎といふ所に泊る。彼佐渡がしまは、海の面十八里、滄波を隔て、東西三十五里に、よこおりふしたり。みねの嶮難谷の隅ゞまで、さすがに手にとるばかり、あざやかに見わたさる。むべ此嶋は、こがねおほく出て、あまねく世の宝となれば、限りなく目出度島にて侍るを、大罪朝敵のたぐひ、遠流せらるゝによりて、たゞおそろしき名の聞こえあるも、本意なき事におもひて、窓押開きて、暫時の旅愁をいたはらむとするほど、日既に海に沈で、月ほのくらく、銀河半天にかゝりて、星きらゝと冴えたるに、沖のかたより、波の音しばゝはこびて、たましゐけづるがごとく、腸ちぎれて、そゞろにかなしひきたれば、草の枕も定らず、墨の袂なにゆへとはなくて、しぼるばかりになむ侍る。
あら海や佐渡に横たふあまの川
佐渡の両津港が見えてきた。海は凪いでいる。残念ながら?荒海ではなかった。と思ったが、夏の日本海は荒れない。冬は北西の季節風により荒れるけれど。芭蕉の句は実景ではなく、想像力が生んだという説があるゆえんである。
実際、曽良の同行記によると、越後路は天気が悪く天の川が見えたかどうかは微妙。そして、決定的なことはこの時季(旧暦7月4日~7日)、天の川は南にかかるのであり、佐渡(北)側にかからない。
両津の街の背景は、大佐渡山脈である。島で最高峰の金北山が見えている。佐渡はフランスパンを2本並べて、真ん中に食パンをおいたような地形になっている。北側のフランスパンが大佐渡山脈、南側のフランスパンが小佐渡山脈、真ん中の食パンが国中平野である。
なぜこんな地形になっているのか。フィリピン海プレートが大陸プレートの下に潜りこむ際、日本列島の東西圧縮が起こったとされる。日本列島が東西から圧縮されたため、山-平地ー山ー平地とシワシワの地形となった。布切れを両側から押してみればそうなるように。そして本州のみならず佐渡でもこのような山ー平地ー山というシワになったのだそう(NHKジオジャパンによる)。
われわれは、食パンの東端にある両津港に着岸した。この日は終日観光バスツアーである。島内は交通手段がかぎられており、これが一番お気楽と感じられた。コースは食パンの東端から西端まで行って戻ってくる感じである。(つづく)
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