順徳院、日蓮聖人、世阿弥に思いをはせたあとは、いよいよ佐渡金山。芭蕉「銀河ノ序」でいえば、「むべ此嶋は、こがねおほく出て、あまねく世の宝となれば、限りなく目出度島にて侍る」の部分。
まずは佐渡金山のシンボルである「道遊の割戸」(どうゆうのわれと)。江戸時代の開発初期、山の中央部から下へ向かって露天掘りをした跡。まさしく割戸。豪快。
島内には主要なものだけでも4つの鉱山がある。その最大のものは相川金銀山。金山として知られるが、それ以上に銀も採掘された。
佐渡金山は江戸初期に最大の産出量をほこり(世界最大)、江戸幕府の金蔵をうるおした。その後は産出量が減り、無宿人の過酷な流刑地となったことは時代劇で知るとおり。芭蕉のいう「大罪朝敵のたぐひ」も、順徳院、日蓮聖人、世阿弥に比べれば粒がちいさい。
江戸期後も明治、大正、昭和と採掘は続けられ、休山となったのは平成元年。それまでに佐渡金山が産出した金は78トン、銀は2,300トンに及ぶ。
来島するときのジェットフォイル「銀河(ぎんが)」の名には、案外、このような銀への想いも込められているのかもしれない。
なお、78トンというのは横・縦・奥行きの各辺が1.8メートルの立方体にすぎないようだ(バスガイドさんの説明。うつらうつらしていたので、正確でないかも。)。意外と少ない?貴金属だから、これでいいのか?
休山後は三菱マテリアルの100%子会社である株式会社ゴールデン佐渡が観光地として運営。「史跡佐渡金山」として一般公開されるとともに世界遺産登録を目指している。
「ゴールデン佐渡」と聞いて、何か思い浮かばないだろうか?この点はのちほど紹介したい。
坑道の総延長は400kmに及ぶ(九州の長さ≒門司港から佐多岬までの直線距離が330kmだから、その4/3倍。なお、新潟県と九州はほぼおなじ長さらしい。)。そのうち300mが観光ルートとして歩けるよう整備されている。
入口は2つに分かれている。右に行けば江戸時代コース(宗太夫抗)、左に行けば明治時代コース(道遊抗)である。初心者は江戸時代コースを行けと教えられ、そのとおり坑道、もとい行動する。
坑道内には採掘の様子を再現した人形70体余が展示されている。人形はリアルな蝋人形で動く。1体1,000万円、京都で製作された(バスガイドさんの車中での説明。うつらうつらしていたので、正確でないかも。)。「つれえなぁ、はやく家に帰って、かかぁの顔がみてえなぁ」(メモしていたわけではないので、正確ではない。)などと話している。
佐渡の金山の奥底で強制労働させられて、思い描く幸せが「かかぁの顔がみてえなぁ」であることに、人間として生きることの哀感を感じた。
(つづく)
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