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2024年5月30日木曜日

平兼盛、壬生忠見って誰?

 

 しのぶれど色にいでにけりわが恋は
        物や思ふと人のとふまで  平兼盛

 隠していても、やはり態度に表れてしまったのだなあ、私の恋は。「恋をしているのでは?」と、人が尋ねるまでに。

 百人一首40番の歌。平兼盛は、源重之の妹たちに「黒塚に鬼籠もれりと言ふはまことか」といささかデリカシーを欠く歌を送った人(5月28日付ブログ)。


 恋すてふわが名はまだき立ちにけり
       人知れずこそ思ひそめしか  壬生忠見

 恋しているという評判が早くも立ってしまった。人知れず、あの人を思い初めたばかりなのに。

 百人一首41番の歌。上記40番の歌と似てないだろうか。それはそう、どちらも歌題は「忍ぶ恋」。村上天皇の天徳4年(960年)内裏歌合で。

「忍ぶ恋」というと演歌そのもの。日本人は平安の昔から忍ぶ恋が好きだったようだ。

村上天皇は「光る君へ」に出ていた円融天皇(坂東巳之助)の1つまえ代の天皇。関白を置かず親政をおこない、天暦の治と呼ばれた。

歌合は、いまでいえばカラオケ大会、カルタ大会、剣道の試合、あるいは、プレバトみたいなものか。歌人を左右2組に分け、その詠んだ歌を一番ごとに比べて優劣を争う遊び。

天徳内裏歌合は、歌題の提示から当日まで1か月の間をおき、進め方や左右双方の衣装、歌を書いた色紙を置く州浜(飾り台)にいたるまで周到に準備されたもので、その典雅さで後世の手本となった。

3月初めに示された歌題は霞、鶯、柳、桜、山吹、藤、暮春、首夏、郭公、卯花、夏草、恋。判者は藤原実頼、補佐は源高明。

いまの宮中歌会でもそうだろうが、天皇の御前ゆえ、ハレの舞台であるとともに参加者は極度に緊張したようだ。三番の鶯の歌のとき、右方の講師であった源博雅は誤って四番の柳の歌を読み上げてしまった。恥じ入るあまり顔面蒼白となり、声がふるえてうまく読めなかったという。

そうしたなか、最後(二十番)におこなわれたのが、平兼盛と壬生忠見の勝負。剣道でいえば大将どうしだ。恋をめぐるかけひきでもある。後世まで語り継がれることになった名勝負となった。どちらの歌も名歌のほまれ高く、百人一首に採られている。

みなさんは、どちらの和歌のほうがすぐれていると思いますか?あるいは、どちらが勝ったと思いますか? 

※現代語訳等は『ビギナーズクラッシック日本の古典 百人一首(全)』谷知子編によった。

2024年5月28日火曜日

源重之って誰?

 

 風をいたみ岩うつ波のおのれのみ
        くだけて物を思ふころかな  源重之

 風が激しいので、岩に打ち寄せる波が自分だけ砕け散るように、相手は平然としているのに、私だけが砕け散るような、恋の物思いをしていることよ。

百人一首48番の歌。昨日紹介した実方とともに陸奥国に下向し、同地で没したという。
父・兼信が陸奥国安達郡に土着していることから、実家に帰ったのかもしれない。


安達太良山の青い空がほんとうの空と指をさす智恵子像


中央が安達太良山

陸奥国安達郡は、高村光太郎の『智恵子抄』で有名な安達太良山の麓である。


鬼女が住んでいたという黒塚

安達太良山の麓には、安達ヶ原がひろがっている。安達ヶ原には黒塚がある。つまり、謡曲『安達原』ないし『黒塚』の舞台である。ストーリーはこう。

 阿闍梨祐慶ら修験者らは、諸国をめぐる修行をしていた。旅の途中、人里離れた安達ヶ原で日が暮れてしまう。一軒だけあったあばら家の女に一夜の宿を提供してもらうことになった。

 夜更け、女は薪をとりにいくと言って出かけた。出かける際、自分の寝室を覗かないよう女は一行に釘をさした。けれども、従者が覗いてしまい、そこにはおびただしい数の死骸が。あわてて逃げ出す一行を鬼となった女が追いかける・・・。

禁じられると破りたくなる。童話『みるなのくら』のよう。



さて、源重之の友だちに平兼盛がいた。兼盛はつぎの歌を詠んでいる。

 名取郡黒塚に重之が妹あまたありと聞きつけていひつかしける

 陸奥(みちのく)の安達ヶ原の黒塚に鬼籠もれりと言ふはまことか

兼盛が妹たちに贈った恋歌らしい。恋しいけれども娘たちを鬼に例えた。小学生か。

鬼女伝説が先か、歌が先か。両説あるようだ。

※現代語訳等は『ビギナーズクラッシック日本の古典 百人一首(全)』谷知子編によった。

2021年4月27日火曜日

白河の関、卯の花のかざし


 

なんとか間にあいました。この記事を4月中に書きたかったのです。なぜか?本文を読んでくだされ。

関東と東北の境を守るのは白河の関です。かって東北地方は、あこがれの地であるとともに、生きて帰られるかどうかわからぬ土地でした。白河の関は、そのような地から来るものを阻むとともに、そこへ入っていくゲートでした。

白河の関を越えるには、決死の覚悟が必要でした。芭蕉は、おくのほそ道の冒頭で、春立てる霞の空に、白河の関越えんといちおうの覚悟は示しています。それでも関東を歩いているうちは、あれこれ迷いがあったようです。ですが、いよいよ白河の関に着いたとき、腹は固まりました。いわく。

心もとなき日数重なるままに、白河の関にかかりて旅心定まりぬ。

関所は物理的・地理的境界であるだけでなく、精神的・霊的な境界でもありました。境界というのは中央の王権のおよびにくい土地であり、霊的なものや魔物が出てきやすい場所だからです。

そのような場所で、芭蕉は「諸国一見の僧」(能のワキ)となり、先輩歌人たちの霊を次々と召喚します。

先ず召喚したのは平兼盛。10世紀の歌人で三十六歌仙の一人、赤染衛門の父です。彼がこの関で詠んだ歌は

 たよりあらばいかで都へ告げやらむ 今日白河の関は越えぬと

この関は奥羽三関の一つにして、風騒の人が心をとどめました。次に召喚したのは能因法師。11世紀に活躍したやはり三十六歌仙の一人、旅の歌人で西行の先輩。彼が詠んだ歌は

 都をば霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く白河の関

第三に召喚したのは源頼政。12世紀保元・平治の乱で活躍した武将。能に『頼政』という曲があります。彼が詠んだ歌は

 都にはまだ青葉にて見しかども 紅葉散り敷く白河の関

芭蕉たちが訪れたのは、青葉の梢があはれな時期でした。が、先輩歌人たちとその歌を次々と召喚することにより、芭蕉たちの耳には秋風が吹く音がし、眼前には紅葉散り敷く情景が広がりました。

第四、第五に召喚したのは竹田大夫国行、藤原清輔。藤原清輔は12世紀の歌人・歌学者。彼の歌論書『袋草子』に、竹田大夫国行がこの関を越えるときに、能因の歌に敬意を表して、冠をかぶり直し、衣服を着替えて通ったという話がありました。

これを踏まえた曽良の句は

 卯の花をかざしに関の晴れ着かな

竹田大夫国行の故事にちなみ、この関を越えるときに、能因の歌に敬意を表して、冠をかぶり直し、衣服を着替えて通りたいものだ。残念ながら、そのような立派な衣装のもちあわせがないので、そこいらに咲いている卯の花を頭に刺し、これを飾りにして関を越えよう。卯の花は卯月(旧暦4月)に咲くから卯の花。