なんとか間にあいました。この記事を4月中に書きたかったのです。なぜか?本文を読んでくだされ。
関東と東北の境を守るのは白河の関です。かって東北地方は、あこがれの地であるとともに、生きて帰られるかどうかわからぬ土地でした。白河の関は、そのような地から来るものを阻むとともに、そこへ入っていくゲートでした。
白河の関を越えるには、決死の覚悟が必要でした。芭蕉は、おくのほそ道の冒頭で、春立てる霞の空に、白河の関越えんといちおうの覚悟は示しています。それでも関東を歩いているうちは、あれこれ迷いがあったようです。ですが、いよいよ白河の関に着いたとき、腹は固まりました。いわく。
心もとなき日数重なるままに、白河の関にかかりて旅心定まりぬ。
関所は物理的・地理的境界であるだけでなく、精神的・霊的な境界でもありました。境界というのは中央の王権のおよびにくい土地であり、霊的なものや魔物が出てきやすい場所だからです。
そのような場所で、芭蕉は「諸国一見の僧」(能のワキ)となり、先輩歌人たちの霊を次々と召喚します。
先ず召喚したのは平兼盛。10世紀の歌人で三十六歌仙の一人、赤染衛門の父です。彼がこの関で詠んだ歌は
たよりあらばいかで都へ告げやらむ 今日白河の関は越えぬと
この関は奥羽三関の一つにして、風騒の人が心をとどめました。次に召喚したのは能因法師。11世紀に活躍したやはり三十六歌仙の一人、旅の歌人で西行の先輩。彼が詠んだ歌は
都をば霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く白河の関
第三に召喚したのは源頼政。12世紀保元・平治の乱で活躍した武将。能に『頼政』という曲があります。彼が詠んだ歌は
都にはまだ青葉にて見しかども 紅葉散り敷く白河の関
芭蕉たちが訪れたのは、青葉の梢があはれな時期でした。が、先輩歌人たちとその歌を次々と召喚することにより、芭蕉たちの耳には秋風が吹く音がし、眼前には紅葉散り敷く情景が広がりました。
第四、第五に召喚したのは竹田大夫国行、藤原清輔。藤原清輔は12世紀の歌人・歌学者。彼の歌論書『袋草子』に、竹田大夫国行がこの関を越えるときに、能因の歌に敬意を表して、冠をかぶり直し、衣服を着替えて通ったという話がありました。
これを踏まえた曽良の句は
卯の花をかざしに関の晴れ着かな
竹田大夫国行の故事にちなみ、この関を越えるときに、能因の歌に敬意を表して、冠をかぶり直し、衣服を着替えて通りたいものだ。残念ながら、そのような立派な衣装のもちあわせがないので、そこいらに咲いている卯の花を頭に刺し、これを飾りにして関を越えよう。卯の花は卯月(旧暦4月)に咲くから卯の花。
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