おくのほそ道の旅、那須野の段の〆は蘆野の遊行柳(ゆぎょうやなぎ)です。遊行柳といえば、有名な能があります。
能にはいろんな曲がありますが、おおくの曲は筋立てがおなじです。諸国一見の僧が名所・旧跡にたちより、里人からその謂われを聞き、そこの霊を鎮魂するためお経をとなえていると、霊があらわれてお礼の舞を舞い、成仏していくというものです。
能はふつう前場(中入り)後場の2幕ものになっています。西洋の劇のように幕が下りる代わりに、中入りにより場面が切り替わったという約束ごとになっています。能の主役はシテ、脇役をワキといいます。ふつう前場と後場の主役は同じで、霊的な存在。前シテは霊の仮の姿、後シテは霊そのものです。
こういう霊が主役の能を夢幻能、そして前場と後場の2幕となっているものを複式夢幻能といいます。能の傑作はほとんど複式夢幻能となっています。『遊行柳』も複式夢幻能です。
遊行上人が白河関にやってくると、そこに老人が現れます。老人はむかしの遊行上人が通った古道を教え、そこに生えている銘木「朽木柳」に案内します。そしてむかし西行が立ち寄って歌を詠んだ故事を伝え、消えてしまいます。
夜、念仏を唱えていると、老柳の精が現れ、感謝し舞を舞います。夜明けとともに消えていき、あとには朽ち木の柳だけが残っていました。
おくのほそ道の旅で芭蕉がやっていることは、この諸国一見の僧がやっていることと同じです。念仏こそ唱えませんが、僧形で俳句をつくり、義経や佐藤兄弟など無念を残して死んだ霊を鎮魂していきます。
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