かれらの俳号は芭蕉の弟子だからでしょう。芭蕉は芭蕉と名乗る前は桃青と号していましたから。
芭蕉は自己の句風、すなわち蕉風をより高めるため、先輩歌人や禅僧に謙虚に教えを請うていました。それのみか、中国の詩人にもあやかろうとしたのが桃青という号です。
誰にあやかろうとしたのかわかりますか。中国の大先人、大詩人といえば、李白と杜甫です。どちらでしょう(笑)。
はい、李白ですね。李はスモモ、李白というのは白いスモモという名前です。芭蕉は李白にあやかって、青い桃と号したわけです。
おくのほそ道の冒頭「月日は百代の過客にして」とか、平泉の段「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」とか、李白・杜甫に対するリスペクトは明らかです。
前者は、李白の「春夜桃李の園に宴するの序」の冒頭、「夫れ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり」から。後者は杜甫の「春望」から。
では、杜甫ではなく、李白の名前にあやかったのはぜでしょう?杜甫より李白の詩のほうが好きだった可能性もありますが、李白にあやかったほうが季語が入るという理由ではないでしょうか(笑)。
桃翠は実際には翠桃と名乗っていたようです。おくのほそ道の本文の記載が桃翠となっているのは誤記であるとの文献もあります。しかし、そうとはかぎらないように思います。芭蕉は翠桃より桃翠のほうがよい、あるいは、すくなくとも語呂がよいと考えた可能性があります。
翠桃は、芭蕉から桃翠と俳号を与えられたにもかかわらず、自分でこれをひっくりかえし翠桃と名乗っていた可能性だってあります。翠桃がそうした理由は黒羽と関係しているかもしれません。黒い羽の翠の桃になるので、かえって座りがよいので。
また緑ではなく翠というのも意味深。翠はカワセミとも読み、混じりけのない綺麗な羽をもつ鳥が由来です。黒い羽と平仄があうと思いませんか。
あるいは、ただ単に、すいとーとと思ったのかもしれません(なぜ、そこで博多弁?)。
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