吉永小百合のあとを慕っておじさんたちは雲巌寺を訪れているわけですが、芭蕉のあとにもたくさんの連れがゾロゾロとついてきました。
雲巌寺に杖を曳けば、人々進んでともにいざなひ、若き人多く道のほどうち騒ぎて、おぼえずかの麓に到る・・。
吉永小百合は知らず、芭蕉は閉口したのではないでしょうか。なぜなら、芭蕉は物見遊山にでかけたのではなく、禅の師匠である仏頂和尚の修行の跡を見にいったのだったからです。
芭蕉の凄みは、常に現状に満足せず、絶えず自らの殻を破り、自己否定を繰り返すなかで、あたらしい道・遠くの理想を求めつづけた点にあると思います。
その姿勢は常に謙虚で、あらゆる分野の先人を師とあおぎ、それをヤスリにして自己を磨きつづけました。
現代経営の言葉でいえば、優れた先進企業の実例をベンチマークしつつ、経営革新(イノベーション)をしつづけるということでしょう。
こうして芭蕉は和歌や旅の師匠だけでなく、禅の師匠にも謙虚に教えを請い、師が修行した跡を訪ね、求道の糧としようとしたわけです。
ところが、芭蕉のこのような厳しい心のうちを知らない連中がたくさん付いてきて、ワイワイ騒いだというのですから、芭蕉の苦り切った心のつぶやきが聞こえてくるようです。まったくもう、どいつもこいつも・・・。
しかし、吉永小百合はおらずとも、雲巌寺の佇まいは芭蕉の期待を裏切らなかったようです。
山は奥のある景色にて、谷道遙かに、松・杉黒く、苔しただりて、卯月の天今なほ寒し。十景尽くる所、橋を渡って山門に入る。
美文がすばらしい。
さて、かの跡はいずくのほどにやと、後の山によぢ登れば、石上の小庵、岩窟に結び掛けたり。妙禅師の死関、法雲法師の石室を見るがごとし。
そして一句。
啄木も庵は破らず夏木立 (きつつきもいほはやぶらずなつこだち)
夏木立のなか、キツツキがあちこちの木に穴を空けているけれども、さすがに師匠が修行した庵は尊くて穴を空けるのを憚ったようだ・・。古びるもの、滅びるもののなか、古びざるもの、滅びざるものへの求道精神は明らかです。
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