(金毛一尾の狐@幌尻岳の麓)
(殺生石@那須岳の麓)
保元・平治の乱の前夜、鳥羽院に寵愛された美福門院は、名家出身ではありませんでしたが皇女にまでなりあがりました。そして自分の子を帝位につけるよう画策し、中宮待賢門院を失脚させました。崇徳上皇らと対立し、戦乱ををひきおこすことになりました。
鳥羽院には、玉藻の前という寵姫もいました。美貌だけでなく教養もありました。それが海中深く照り輝くようだったことから、玉藻の前と呼ばれました。
頃は秋の末、月まだ遅き宵の空の、雲の気色すさまじく、うちしぐれ吹く風に、御殿の灯火消えにけり。雲上人立ち騒ぎ、松明とくと進むれば、玉藻の前が身より、光を放ちて・・・ひとへに月のごとくなり。帝それより御悩とならせたまひし(能『殺生石』)。
そこに登場したのはわれらが陰陽師・安倍清明。ではなく、その子孫でしょうか、安倍の泰成。占って申すには、これはひとへに玉藻の前の所為なり、王法を傾けんと化けてきたりたり。正体がバレて、玉藻の前はもとの化生・金毛九尾の狐の姿に戻り、逃げ出しました。
九尾の狐が那須野で悪さをしているとの情報を得、院は関東の将軍たちに追討を命じました。しかし、狐の繰り出す妖術をまえに苦戦。三浦介と上総介は、犬追物で部下を訓練し、ついに化け物を退治しました。めでたし、めでたし、パチパチ。(こういう犬夜叉ワールド、だいすきです。)
死後、化け物は巨大な毒石となり、近づく人間や動物の命を奪うようになりました。これが「殺生石」です。(現代人には自明のことながら、命を奪うのは硫化水素などの火山性ガスです。身も蓋もなし。)
芭蕉一行も浄法寺さんに馬で送ってもらい、見物にでかけました。いわく、殺生石は温泉のいづる山陰にあり。石の毒気いまだ滅びず、蜂・蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほど重なり死す。
われらが国民的美女・吉永小百合を慕ってはじまった黒羽の段は、こうして妖艶かつ怪奇な美女の死のイメージをもって結びとなります。
さて、文学としてはこれで終わったほうが座りがよいのですが、このままだとUはあいかわらず女性蔑視だといわれそう。さいきん女性蔑視発言をして退任においこまれたMさんの二の舞。なので、蛇足ながら。
なにか問題があると、事件の陰に女ありとか、女のせいにしてすませる男がいつの世にもいるものです。企業経営でも社員が働かないとか、景気が悪いとか、コロナが悪いとか年中グチっている社長がいます。中小企業家同友会では「雨が降っても社長の責任」「他人と過去は変えられない、変えられるのは自分と未来だけ」と言って、他人に責任転嫁する態度を戒めています。もちろんUもこの立場であります、はい。
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