われわれは日本百名山である日光白根山と男体山の2つを同時に登る計画をたてました。九州から日本百名山踏破をめざすばあい、2つ以上かけもちで登っていかないと、いつまでたっても踏破できません。
24日、群馬県の沼田からバスに乗り、夏の思い出である尾瀬の玄関口・片品村を抜けて、丸沼温泉に泊まりました。
25日は日光白根山に登りました。ごらんのとおり、霞かかりてガスガスです。山を西(群馬県)から東(栃木県)に抜け、湯元温泉に下山しました。
そこから歩いて、湯の湖、湯川、湯滝、紅葉の見ごろをすぎた戦場ヶ原、竜頭の滝を経て、中禅寺湖畔の宿に泊まりました。そして26日に男体山にいどみました。
そこから歩いて、湯の湖、湯川、湯滝、紅葉の見ごろをすぎた戦場ヶ原、竜頭の滝を経て、中禅寺湖畔の宿に泊まりました。そして26日に男体山にいどみました。
男体山は、補陀落山、二荒山のほか、黒髪山とも呼ばれていました。芭蕉一行が訪ねたとき、黒髪山は、霞かかりて、雪いまだ白し。曽良が一句詠んでいます。
剃り捨てて黒髪山に衣更(ころもがえ)
われわれがいどんだ時は、霞かかりてどころではなく、あいにくの大雨。どしゃぶりでした。なんとか山頂までたどりついたものの、あやうく低体温症になりそうでした。さいわいなことに小屋がありました。そこで着替えて、なんとか命びろいしました。
(雨に濡れた衣を)脱ぎ捨てて黒髪山で衣更 秀徳
曽良の句について芭蕉の感想は「衣更」の二字、力ありて聞こゆ。われわれは「衣更」なければ力なしどころか、命なし。というわけで、男体山に登った証拠写真は一枚もありません、ふう。
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