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2021年10月14日木曜日

象潟ーおくのほそ道拾遺④

 




 この旅の結びは象潟(きさがた)。芭蕉が松島とともに絶景をうたいあげた地だ。ただ残念なことに、芭蕉が訪れた当時と現在では絶景は絶景でも変化がある。

 朝日はなやかにさし出づるほどに、象潟に舟を浮かぶ。まづ能因島に舟を寄せて、三年幽居の跡を訪ひ、向こうの岸に舟を上がれば、「花の上漕ぐ」と詠まれし老い木、西行法師の記念を残す。江上に御陵あり、神宮后宮の御墓といふ。寺を干満珠寺といふ。・・・

 象潟や雨に西施がねぶの花

 象潟や料理何食ふ神祭り 曽良

このあたりは、鳥海山・飛島ジオパークとなっている。日本海を暖流が流れ、北西の季節風が鳥海山に大量の雪を降らせ、川や湧水となって里をうるおすーそういった循環がパークのテーマとなっている。

鳥海山はふるくから噴火を繰り返してきた。山頂周辺には、それが外輪山や新山といった形で残っている。それだけではない。麓にももちろんその影響がおよんでいる。

鳥海山の北に位置する象潟はもともと海だった。そこへ鳥海山が噴火、巨大な岩塊が流れ下り、海に達してたくさんの島ができたという。能因島、弁天島をはじめ九十九島と呼ばれる。芭蕉らはそれらの島々を舟で周遊した。

こちらは駅から徒歩である。駅横に句碑が2種類ある。街のあちこちにネムノキが植栽されている。芭蕉の句によるものであることは言うまでもない。

5分ほどで欄干橋(象潟橋)に着く。芭蕉が舟に乗ったところである。舟をつないだ石も史跡として残されている。芭蕉はこの橋から鳥海山の美しい姿を嘆賞したという。

橋のちかくには熊野神社がある。曽良の句にある神祭りはこの神社の祭りだ。

欄干橋・熊野神社からは能因島より干満珠寺がちかい。5分ほど。寺の旧参道からは九十九島を望むことができる。九州人にとって九十九島といえば長崎だが、東日本人にとってはこちらのようだ。

見てのとおり、200年前の地震で地面が隆起して、いまでは海ではなく陸になってしまっている。それはそれで美しい。

ただこの日はあいにく雨が降ったりやんだりの天気。鳥海山は望めなかった。写真右をよく見ると、虹がでている。虹のむこうには幸せがまっているだろうか、それとも美女が・・。

芭蕉は象潟の絶景を中国の美女、西施にたとえた。JR東日本は吉永小百合を起用し、九十九島への旅を勧めている。吉永小百合が出演するPVは日本の西施が舞っているようだ。

2021年4月16日金曜日

どいつもこいつも、雲巌寺(2)


吉永小百合のあとを慕っておじさんたちは雲巌寺を訪れているわけですが、芭蕉のあとにもたくさんの連れがゾロゾロとついてきました。

雲巌寺に杖を曳けば、人々進んでともにいざなひ、若き人多く道のほどうち騒ぎて、おぼえずかの麓に到る・・。

吉永小百合は知らず、芭蕉は閉口したのではないでしょうか。なぜなら、芭蕉は物見遊山にでかけたのではなく、禅の師匠である仏頂和尚の修行の跡を見にいったのだったからです。

芭蕉の凄みは、常に現状に満足せず、絶えず自らの殻を破り、自己否定を繰り返すなかで、あたらしい道・遠くの理想を求めつづけた点にあると思います。

その姿勢は常に謙虚で、あらゆる分野の先人を師とあおぎ、それをヤスリにして自己を磨きつづけました。

現代経営の言葉でいえば、優れた先進企業の実例をベンチマークしつつ、経営革新(イノベーション)をしつづけるということでしょう。

こうして芭蕉は和歌や旅の師匠だけでなく、禅の師匠にも謙虚に教えを請い、師が修行した跡を訪ね、求道の糧としようとしたわけです。

ところが、芭蕉のこのような厳しい心のうちを知らない連中がたくさん付いてきて、ワイワイ騒いだというのですから、芭蕉の苦り切った心のつぶやきが聞こえてくるようです。まったくもう、どいつもこいつも・・・。

しかし、吉永小百合はおらずとも、雲巌寺の佇まいは芭蕉の期待を裏切らなかったようです。

山は奥のある景色にて、谷道遙かに、松・杉黒く、苔しただりて、卯月の天今なほ寒し。十景尽くる所、橋を渡って山門に入る。

美文がすばらしい。

さて、かの跡はいずくのほどにやと、後の山によぢ登れば、石上の小庵、岩窟に結び掛けたり。妙禅師の死関、法雲法師の石室を見るがごとし。

そして一句。

 啄木も庵は破らず夏木立 (きつつきもいほはやぶらずなつこだち)

夏木立のなか、キツツキがあちこちの木に穴を空けているけれども、さすがに師匠が修行した庵は尊くて穴を空けるのを憚ったようだ・・。古びるもの、滅びるもののなか、古びざるもの、滅びざるものへの求道精神は明らかです。

どいつもこいつも、雲巌寺(1)

 


芭蕉の旅は、各地の歌枕を訪ねる旅だけれども、各地のお弟子さんを訪ねる旅でもありました。いまでいえば、お相撲さんや歌舞伎俳優が各地をめぐって、芸を披露しつつ、タニマチさんの接待を受けるようなものでしょうか。

夏井先生が九州一周の旅にこられれば、われわれもきっと大歓迎。句会を開きつつ、二日市温泉・大丸別荘にて心からのもてなしをすることでしょう。そんな感じだと思います。

夏井先生と違いテレビのない時代、江戸で活躍していた芭蕉に、たくさんのお弟子さんたちが各地にいた理由は、参勤交代によるものでしょうか。

芭蕉が那須野を横切ってむかったお弟子さん宅は、黒羽の城代家老である浄法寺さんのところ。黒羽はいまの大田原市、城代家老はいまの副市長さんあたりでしょうか。

浄法寺さんの接待がよほど気にいったのでしょうか?おくのほそ道の旅のなかで、黒羽逗留がいちばん長くなります。そのため記事もおおく、①玉藻の前・那須の与一、②雲巌寺、③殺生石ー那須温泉の3つもあります。

本来、この順に紹介すべきでしょうが、前項でトミーが投げてきたボールを受けとめるため、一つとばして雲巌寺の話からはじめます。

雲巌寺、ごぞんじでしょうか?おそらく芭蕉ファン以外、九州の人は誰も知らないのではないでしょうか。

でも、東日本のおっさんたちは知っています。なぜなら、JR東日本・大人の休日倶楽部のCMで、吉永小百合がここを訪れ、歩いたからです。

それ以来、東日本のおっさんたちは、どいつもこいつも、一度は雲巌寺を訪れ、吉永小百合と歩いてみたいとあこがれるようになりました。

知らなかった人は、雲巌寺×吉永小百合で検索して動画を見てください。訪ねてみたくなること請け合いです。えっ、おまえはどの吉永小百合と歩いたのかって?さぁ?

2012年4月4日水曜日

もうひとつの花見 by.花見も好きな福岡の弁護士



 公園で,たくさん植えられたソメイヨシノを
 みなで嘆賞するのが,日本人にとって花見の王道。

 これは素直に受け入れますが,吉永小百合,古い?
 武井 咲が美人だ,というようなもの。

 付加価値ゼロです。これに対し
 おすすめなのが,真逆な,もうひとつの花見。

 山野をまんぜんと歩いていると気づきませんが
 なんか咲いてないかな~と歩いていると気づきます。

 枯れ木のようにみえるけど
 枝の先がなんかぽっと明るくなっている感じです。

 アブラチャン(油瀝青)
 クスノキ,クロモジの仲間の落葉低木。

 早春に淡黄色の花を
 葉に先立って咲かせます。

 いったんその存在に気づくと,
 春まだ浅い森の中で、ひそかに目をひくようになります。

 アブラチャンの「チャン」は「瀝青」のことで
 「○○ちゃん」ではないのですが,まさにアブラちゃんという感じ。

 生け花やお茶をする人は
 まったく違うシチュエーションで,ご存じでしょうね。

 花言葉は,はかない恋。
 (ちなみにソメイヨシノのそれは,優れた美人。)

            ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳