ラベル 那須野 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 那須野 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年4月23日金曜日

遊行柳(3) 老馬にも学ぶ

春秋戦国時代、百家争鳴といわれるほど思想家がたくさん輩出しました。困難な時代こそ、すぐれた人物が輩出するものなのでしょう。なかでも、いちばん有名なのは孔子ですね。孔子が道徳によって国を治める徳治主義を説いたのに対し、法による統治を説いたのが韓非です。われわれ法律家の大先輩です。

彼が書いた『韓非子』のなかに、こんな話がでてきます。

管仲は斉の総理大臣で、名宰相と言われました。敵国をやっつけて国へ帰ろうとしたら、雪で道が分からなくなり迷ってしまいました。そのとき、管仲はひとつ老馬に知恵を借りてみようと言い、老馬を放しました。その後について行ったところ、なんと道をみつけることができました。

このエピソードに基づく四字熟語が老馬乃智(ろうばのち)です。管仲ほどの賢人知恵者であっても、ときには老馬を先生として学ぶことを憚ってはならないという話です。

ここでも芭蕉はなにも語っていませんが、那須野の段の冒頭にはこのエピソードが下敷きとして踏まえられていると思います。そして、われわれに謙虚に学べと呼びかけているのではないでしょうか。甘美なる教えです。

遊行柳(2) 夢幻の世界へ


『遊行柳』の冒頭、遊行上人と柳の老人のやり取りはこうなっています。

柳の老人・・まづ先年遊行のおん下向の時も、古道とて昔の街道をおん通り候ひしなり、されば昔の道を教へ申さんとて、はるばるこれまで参りたり

遊行上人・・不思議やなさてはさきの遊行も、この道ならぬ古道を通りしことのありしよのう

柳の老人・・昔はこの道なくして、あれに見えたる一叢の、森のこなたの川岸を、お通りありし街道なり、そのうへ朽木の柳とて名木あり・・

このやり取りを読むと、『千と千尋の神隠し』の冒頭の場面を思い浮かべてしまいます。千尋は両親とともに引越先のニュータウンへ向かう途中、森の中の奇妙なトンネルから不思議な世界に迷い込んでしまう。「トンネルの向こうは不思議の街でした」というアレです。

そう思って、那須野の段の最初をもう一度読んでみると、こうなっています。

・・野中を行く。そこに野飼ひの馬あり。草刈る男に嘆き寄れば、野夫といへどもさすがに情け知らぬにはあらず。「いかがすべきや。されどもこの野は縦横に分かれて、うひうひしき旅人の道踏みたがへん、あやしうはべれば、この馬とどまる所にて馬を返しためへ」と貸しはべりぬ。・・やがて人里に至れば、価を鞍壺に結び付けて馬を返しぬ。

芭蕉はなにも語っていませんが、那須野の段の冒頭は『遊行柳』の冒頭の場面が踏まえられているのではないでしょうか。そして、われわれを夢幻の世界へ誘っているのではないでしょうか。

遊行柳(1) 鎮魂の旅


おくのほそ道の旅、那須野の段の〆は蘆野の遊行柳(ゆぎょうやなぎ)です。遊行柳といえば、有名な能があります。

能にはいろんな曲がありますが、おおくの曲は筋立てがおなじです。諸国一見の僧が名所・旧跡にたちより、里人からその謂われを聞き、そこの霊を鎮魂するためお経をとなえていると、霊があらわれてお礼の舞を舞い、成仏していくというものです。

能はふつう前場(中入り)後場の2幕ものになっています。西洋の劇のように幕が下りる代わりに、中入りにより場面が切り替わったという約束ごとになっています。能の主役はシテ、脇役をワキといいます。ふつう前場と後場の主役は同じで、霊的な存在。前シテは霊の仮の姿、後シテは霊そのものです。

こういう霊が主役の能を夢幻能、そして前場と後場の2幕となっているものを複式夢幻能といいます。能の傑作はほとんど複式夢幻能となっています。『遊行柳』も複式夢幻能です。

遊行上人が白河関にやってくると、そこに老人が現れます。老人はむかしの遊行上人が通った古道を教え、そこに生えている銘木「朽木柳」に案内します。そしてむかし西行が立ち寄って歌を詠んだ故事を伝え、消えてしまいます。

夜、念仏を唱えていると、老柳の精が現れ、感謝し舞を舞います。夜明けとともに消えていき、あとには朽ち木の柳だけが残っていました。

おくのほそ道の旅で芭蕉がやっていることは、この諸国一見の僧がやっていることと同じです。念仏こそ唱えませんが、僧形で俳句をつくり、義経や佐藤兄弟など無念を残して死んだ霊を鎮魂していきます。

2021年4月16日金曜日

どいつもこいつも、雲巌寺(1)

 


芭蕉の旅は、各地の歌枕を訪ねる旅だけれども、各地のお弟子さんを訪ねる旅でもありました。いまでいえば、お相撲さんや歌舞伎俳優が各地をめぐって、芸を披露しつつ、タニマチさんの接待を受けるようなものでしょうか。

夏井先生が九州一周の旅にこられれば、われわれもきっと大歓迎。句会を開きつつ、二日市温泉・大丸別荘にて心からのもてなしをすることでしょう。そんな感じだと思います。

夏井先生と違いテレビのない時代、江戸で活躍していた芭蕉に、たくさんのお弟子さんたちが各地にいた理由は、参勤交代によるものでしょうか。

芭蕉が那須野を横切ってむかったお弟子さん宅は、黒羽の城代家老である浄法寺さんのところ。黒羽はいまの大田原市、城代家老はいまの副市長さんあたりでしょうか。

浄法寺さんの接待がよほど気にいったのでしょうか?おくのほそ道の旅のなかで、黒羽逗留がいちばん長くなります。そのため記事もおおく、①玉藻の前・那須の与一、②雲巌寺、③殺生石ー那須温泉の3つもあります。

本来、この順に紹介すべきでしょうが、前項でトミーが投げてきたボールを受けとめるため、一つとばして雲巌寺の話からはじめます。

雲巌寺、ごぞんじでしょうか?おそらく芭蕉ファン以外、九州の人は誰も知らないのではないでしょうか。

でも、東日本のおっさんたちは知っています。なぜなら、JR東日本・大人の休日倶楽部のCMで、吉永小百合がここを訪れ、歩いたからです。

それ以来、東日本のおっさんたちは、どいつもこいつも、一度は雲巌寺を訪れ、吉永小百合と歩いてみたいとあこがれるようになりました。

知らなかった人は、雲巌寺×吉永小百合で検索して動画を見てください。訪ねてみたくなること請け合いです。えっ、おまえはどの吉永小百合と歩いたのかって?さぁ?

2021年4月15日木曜日

君の名は。ーかさね





君は山なの?などと、トミーがトンチンカンな問いをしているうちに、芭蕉一行は那須野に至りました。有名な場面です。

那須野は広大で縦横に道が分かれていました。いまのようにナビつきスマホを持参していなかった旅人は、よく道迷いをしていました。そこで芭蕉一行は、道迷いしないよう馬を借りました。すると、

小さき者ふたり、馬の跡慕ひて走る。ひとりは小姫にて、君の名はと問ふと、名を「かさね」といふ。聞き慣れぬ名のやさしかりければ、曽良が一句。

 かさねとは八重撫子の名なるべし  (撫子は、ナデシコ)

問うなら小姫の名でしょう、せめて花の名。トミーがんばれ。

※写真は、鎌倉・東慶寺の八重ヤマブキ、京都・醍醐寺の八重サクラ、那須野のツツジ、熊野古道の小殿・小姫です。八重撫子の写真は手もとにありませんでした。3つの写真を頭のなかでブレンドして、那須野の小姫・八重撫子のイメージを組み立ててください。