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2021年4月17日土曜日

黒羽の桃翠





黒羽に戻ります。城代家老・浄法寺さんの俳号は桃雪、弟は桃翠。兄弟で俳句をたしなみ、芭蕉一行をもてなしました。

かれらの俳号は芭蕉の弟子だからでしょう。芭蕉は芭蕉と名乗る前は桃青と号していましたから。

芭蕉は自己の句風、すなわち蕉風をより高めるため、先輩歌人や禅僧に謙虚に教えを請うていました。それのみか、中国の詩人にもあやかろうとしたのが桃青という号です。

誰にあやかろうとしたのかわかりますか。中国の大先人、大詩人といえば、李白と杜甫です。どちらでしょう(笑)。

はい、李白ですね。李はスモモ、李白というのは白いスモモという名前です。芭蕉は李白にあやかって、青い桃と号したわけです。

おくのほそ道の冒頭「月日は百代の過客にして」とか、平泉の段「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」とか、李白・杜甫に対するリスペクトは明らかです。

前者は、李白の「春夜桃李の園に宴するの序」の冒頭、「夫れ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり」から。後者は杜甫の「春望」から。

では、杜甫ではなく、李白の名前にあやかったのはぜでしょう?杜甫より李白の詩のほうが好きだった可能性もありますが、李白にあやかったほうが季語が入るという理由ではないでしょうか(笑)。

桃翠は実際には翠桃と名乗っていたようです。おくのほそ道の本文の記載が桃翠となっているのは誤記であるとの文献もあります。しかし、そうとはかぎらないように思います。芭蕉は翠桃より桃翠のほうがよい、あるいは、すくなくとも語呂がよいと考えた可能性があります。

翠桃は、芭蕉から桃翠と俳号を与えられたにもかかわらず、自分でこれをひっくりかえし翠桃と名乗っていた可能性だってあります。翠桃がそうした理由は黒羽と関係しているかもしれません。黒い羽の翠の桃になるので、かえって座りがよいので。

また緑ではなく翠というのも意味深。翠はカワセミとも読み、混じりけのない綺麗な羽をもつ鳥が由来です。黒い羽と平仄があうと思いませんか。

あるいは、ただ単に、すいとーとと思ったのかもしれません(なぜ、そこで博多弁?)。

2021年4月16日金曜日

どいつもこいつも、雲巌寺(1)

 


芭蕉の旅は、各地の歌枕を訪ねる旅だけれども、各地のお弟子さんを訪ねる旅でもありました。いまでいえば、お相撲さんや歌舞伎俳優が各地をめぐって、芸を披露しつつ、タニマチさんの接待を受けるようなものでしょうか。

夏井先生が九州一周の旅にこられれば、われわれもきっと大歓迎。句会を開きつつ、二日市温泉・大丸別荘にて心からのもてなしをすることでしょう。そんな感じだと思います。

夏井先生と違いテレビのない時代、江戸で活躍していた芭蕉に、たくさんのお弟子さんたちが各地にいた理由は、参勤交代によるものでしょうか。

芭蕉が那須野を横切ってむかったお弟子さん宅は、黒羽の城代家老である浄法寺さんのところ。黒羽はいまの大田原市、城代家老はいまの副市長さんあたりでしょうか。

浄法寺さんの接待がよほど気にいったのでしょうか?おくのほそ道の旅のなかで、黒羽逗留がいちばん長くなります。そのため記事もおおく、①玉藻の前・那須の与一、②雲巌寺、③殺生石ー那須温泉の3つもあります。

本来、この順に紹介すべきでしょうが、前項でトミーが投げてきたボールを受けとめるため、一つとばして雲巌寺の話からはじめます。

雲巌寺、ごぞんじでしょうか?おそらく芭蕉ファン以外、九州の人は誰も知らないのではないでしょうか。

でも、東日本のおっさんたちは知っています。なぜなら、JR東日本・大人の休日倶楽部のCMで、吉永小百合がここを訪れ、歩いたからです。

それ以来、東日本のおっさんたちは、どいつもこいつも、一度は雲巌寺を訪れ、吉永小百合と歩いてみたいとあこがれるようになりました。

知らなかった人は、雲巌寺×吉永小百合で検索して動画を見てください。訪ねてみたくなること請け合いです。えっ、おまえはどの吉永小百合と歩いたのかって?さぁ?