翌日は朝一でMIHO MUSEUMへ。JR石山駅でおり、そこからはバスで1時間。MUSEUMは信楽の郊外山中にある。
バスを降りて、しばらく歩くとレセプション棟、そこからさらに歩く。トンネルを抜けると、巨大な橋がかかっている。橋をわたるとようやくミュージアムだ。このアプローチは現代の桃源郷と題され、土木学会デザイン賞を受賞している。
建築家イオ.ミン.ペイ氏の設計。同氏はルーブル美術館のガラスのピラミッドの設計者として知られる。そいういわれれば似ている。「光こそ鍵」がテーマ。建築容積の8割は地中にある。
MIHO は小山美秀子(みほこ)氏のコレクションだから。同氏は宗教法人神慈秀明会(きのうの泉屋博古館のお隣)の会主。同会は世界救世教から分立。
同美術館の収蔵品が個人のコレクションであったことに驚かされる。「美術を通して、世の中を美しく、平和に、楽しいものに」がコンセプト。
ソフィー・リチャード著『フランス人がときめいた日本の美術館』(集英社インターナショナル)で紹介されているので、いちどは訪れたいと思っていた。
まずは特別展「金峯山の遺宝と神仏」へ。金峯山は吉野にある。古代より修験道の聖域とされてきた。きのう聖護院でなりたちを再確認したところだ。
修験道は役行者が創始。金峯山で蔵王権現を感得したという。権現は仏・菩薩が人々を救うため仮の姿をとって現れること(権とは仮という意味)。いわゆる本地垂迹説、日本の神は仏の仮の姿という考えから。
なかでも蔵王権現は、釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊が合体したものであるから、すごい救済パワーの持ち主である。修験道の本尊。金峯山寺本堂の本尊。
平安貴族は競って金峯山参詣を繰り返した。あの藤原道長はその代表である。その跡が経塚遺物として発掘され、展示されていた。
この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたるところもなしと思へば
と歌った道長であったが、心中の不安や神仏へすがりたい気持ちはかれにしても、光源氏(光る君)とおなじくあったようである。
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