翌朝目が覚めた。深夜に目覚めることもなく、うなされることもなく、座敷わらしに会うこともなく、神隠しにあうこともなく。朝の光のなか、さっそく一風呂浴びた。さっぱりした。贅沢。食堂はやはり一人。昨夜の嵐はややおさまっている。
鳴子御殿湯駅まで歩いてJR陸羽東線に乗る。鳴子温泉駅で下車。鳴子峡まで歩くが、紅葉はまだまだ(10月上旬ゆえ)。
駅に戻り、陸羽東線を東へ向かう。途中、堺田という駅がある。駅をおりれば芭蕉が泊まった封人の家がある。
・・・やうやう(あれ?パソコンが固まって動かなくなった。しばらくして回復。)として関を越す。大山を登って日すでに暮れければ、封人の家を見かけて宿りを求む。三日風雨荒れて、よしなき山中に逗留す。
蚤虱馬の尿する枕もと(のみしらみうまのばりするまくらもと)
さらにJRでいくと赤倉温泉駅がある。そこからおくのほそ道の旅の最大の難所、山刀伐峠(なたぎりとうげ)をめざす。名前だけでも恐ろしい。
時間の関係で、登山口までタクシーを利用し、そこから峠まで往復する計画だった。10分ほどしてずんぐりした体格の青年の運転するタクシーがやってきた。おくのほそ道の記述が頭をよぎる。
あるじのいはく、これより出羽の国に大山を隔てて、道定かならざれば、道しるべの人を頼みて越ゆべきよしを申す。「さらば」といひて人を頼みはべれば、究きょうの若者、反脇指(そりわきざし)を横たへ、樫の杖を携へて、われわれが先に立ちて行く。
青年運転手によると、山刀伐峠は登山口から峠までを往復しても悪くないが、やはり尾花沢まで抜けたほうがいいという。しかもタクシー代は登山口までの往復料金にまけてくれるという。
青年の好意に甘えて、そうすることにした。登山口ではスマホで写メを撮ってくれた。そうしていると、驟雨がやってきた。
クマがでるという。運転手はクマ脅しの道具を貸してくれた。残念ながら、おくのほそ道の旅のように、道案内まではしてくれないらしい。
おくのほそ道の記述にたがわず、深山幽谷、樹齢数百年と思われるブナの美林がつづいていた。そこを九十九折りに登っていく。深閑としている。かすかな異音にクマではないかと怯える。他に誰も人はいない。
・・・あるじのいふにたがわず、高山森々として一鳥声聞かず、木の下闇茂り合ひて夜行くがごとし。
ようよう峠についた。やはり人はいない。東屋のほか、子持ち杉、子持ち地蔵尊が祭られている。温泉街で買った弁当、それとミカンを食す。鳴子温泉で買ったのに、ミカンは熊本県産である。くまモンのマークがついている。
食べ物のにおいにクマが寄ってくるといけないので、そそくさと食べ終わる。一服することもなく、尾花沢(最上)側へ降りていく。・・・そろそろ山の中腹かと思うころ、驚いて跳ね飛んだ。人生で最長不倒距離を跳んだ。
なんと、300キロはあろうかという成獣のクマが昼寝していた。クマが寝るのであれば、うつ伏せであろうが、仰向けに寝ていた。まるでくまモンのイラストのよう。死んでいたのかもしれない。慌てて逃げ出したので、生死の確認はできなかった。
転がるようにして坂を駆け下りた。タクシーとの待合せ場所についた。ひゃーたすかった。芭蕉の記述以上に怖い思いをした。ふうー。
・・・雲端につちふる心地して、篠の中踏み分け踏み分け、水を渡り、岩に躓いて、肌に冷たき汗を流して、最上の庄に出づ。かの案内せし男のいふやう、「この道必ず不用のことあり。恙なう送りまいゐらせて、仕合はせしたり」と、喜びて別れぬ。後に聞きてさえ、胸とどろくのみなり。
あのクマは山の神だったのだろうか。この日、カメラの不具合で写真は一枚も撮れていなかった。登山口で青年運転手が撮ってくれた写メだけが手もとに残った。なんと、芭蕉の句を入れ、写真立てに入れてプレゼントしてくれた。
それにしても息もとまりそうな、不思議な体験だった。
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