2012年11月6日火曜日

小式部内侍と大江山・酒呑童子と頼光と。





和泉式部の娘が
小式部内侍(こしきぶのないし)。

母とおなじく恋多き女流歌人
藤原教道,藤原定頼らお歴々と浮き名をながしています。

それだれ?というかたも
小倉百人一首のこの歌はご存知でせう。

  大江山 いく野の道の 遠ければ
         まだふみもみず 天の橋立

  (大江山を越えて、生野へも行ったことがないで
  まだ天橋立へ行ったこともありませんし,手紙も見てません)

この歌の当時,和泉式部の評判は確立していたもの
小式部内侍は母に代作を依頼しているとのウワサが。

小式部は歌合せで,歌をつくらねばならなかったとき
母の和泉式部は夫の任地・天の橋立(丹後)に。

そこで,藤原定頼が「母上から代作の使者が来ましたか?」
とからかったところ,切り返しの返事がこの歌。

この巧みな切り返しに
定頼は返歌もできないほど驚き,恥をかいたとか。

ところで,ここに出てくる大江山は
あの酒呑童子がでてくる大江山のことです。

外からの穢れから平安京をまもる堺とされ
ふるくから盗賊の住処でした。

そこに酒呑童子という鬼の頭領がいるということで
これを退治したのが源頼光。

さきにみにいった
『御伽草子』でも有名な話です。

小式部内侍と源頼光は同時代人。なので
当時の大江山はそうとう怖いところだったでせう。

…というわけでもなく,先週土曜日は
唐津くんちに行ってきました。

写真は11番山
「酒呑童子と源頼光の兜」。

頼光らが酒呑童子の首をはねたところ
首は宙をとんで,頼光の兜にかぶりついたという。

頼光はやはり藤原道長の側近で
道長の権勢の伸長とともに名声を広めたらしい。

そういう意味では
文の紫式部,和泉式部にたいする武の頼光といえそう。

かれの酒呑童子を退治したエピソードなども
そうした名声の尾ひれなのでしょう。

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