おくのほそ道のなかには、俤という言葉はところどころにでてきます。
秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢なほあはれなり。(白河の関)
五百年来の俤、今日の前に浮かびて、そぞろに珍し。(塩竈神社)
眉掃きを俤にして紅粉の花 (尾花沢)
俤松島に通ひて、また異なり。 (象潟)
塩竈の夜から松島の夜にかけて、張継の『楓橋夜泊』を俤にしているような気がしてなりません(西鉄通りの中華・大京園に拓本が掲げられていることは以前書きました。)。
月落ち烏啼きて霜は天に満つ
江楓 漁火 愁眠に対す
姑蘇城外 寒山寺
夜半の鐘声 客船に到る
詩人が江蘇・浙江に遊んだおり、船で蘇州までやってきたときの作ですが、「塩竈の夜に入相の鐘を聞く。」「船を借りて松島に渡る。」「およそ洞庭・西湖を恥ぢず。東南より海を入れて、江の中三里、浙江の潮を堪ふ。」あたりの表現ぶりや、瑞巌寺との距離感、旅愁という主題などに俤を感じます。
鵲の渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける 中納言家持
百人一首に採られたこの歌は「月落ち烏啼きて霜は天に満つ」を基にしたものといわれています。烏が鵲になっていますが、カササギはカチガラスといいますから。
張継と家持はほぼ同時代人。張継が安史の乱のため江南に逃れた755年から、家持が没する785年まで30年の間に、12回、16回、17回の遣唐使が帰国していますので、そのどれかで誰かが伝えたのでしょう。いまでいえば本場ニューヨークで流行っている最新のヒットソングみたいなものだったでしょうから。
松島の夜→『楓橋夜泊』→鵲の歌→大伴家持とつなげておくと、つぎの石の巻にうまくイメージがつながります。そのことは石の巻の段で。