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2021年6月30日水曜日

松島夜泊ー旅愁


 (大観荘から松島湾をのぞむ)
 

 (天拝山のカササギ)

 おくのほそ道の旅を映画にするのなら、松島の夜のバックには唱歌「旅愁」を流してほしいですね。

1 更け行く秋の夜 旅の空の
  わびしき思いに 一人悩む
  恋しや故郷 懐かし父母
  夢路にたどるは 故郷の家路
  更け行く秋の夜 旅の空の
  わびしき思いに 一人悩む
2 窓うつ嵐に 夢も破れ
  遙けき彼方に 心迷う
  恋しや故郷 懐かし父母
  思いに浮かぶは 杜の梢
  窓うつ嵐に 夢も破れ
  遙けき彼方に 心迷う

本歌をふまえて歌を詠む方法が本歌どり。本歌の存在がはっきりとわかるやり方。そこまでいかないけれど、なんとなく匂うという連句の付句の手法が俤付(面影付)の方法です。

おくのほそ道のなかには、俤という言葉はところどころにでてきます。

 秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢なほあはれなり。(白河の関)

 五百年来の俤、今日の前に浮かびて、そぞろに珍し。(塩竈神社)

 眉掃きを俤にして紅粉の花 (尾花沢)

 俤松島に通ひて、また異なり。 (象潟)

塩竈の夜から松島の夜にかけて、張継の『楓橋夜泊』を俤にしているような気がしてなりません(西鉄通りの中華・大京園に拓本が掲げられていることは以前書きました。)。

 月落ち烏啼きて霜は天に満つ
 江楓 漁火 愁眠に対す
 姑蘇城外 寒山寺
 夜半の鐘声 客船に到る

詩人が江蘇・浙江に遊んだおり、船で蘇州までやってきたときの作ですが、「塩竈の夜に入相の鐘を聞く。」「船を借りて松島に渡る。」「およそ洞庭・西湖を恥ぢず。東南より海を入れて、江の中三里、浙江の潮を堪ふ。」あたりの表現ぶりや、瑞巌寺との距離感、旅愁という主題などに俤を感じます。

 鵲の渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける 中納言家持

百人一首に採られたこの歌は「月落ち烏啼きて霜は天に満つ」を基にしたものといわれています。烏が鵲になっていますが、カササギはカチガラスといいますから。

張継と家持はほぼ同時代人。張継が安史の乱のため江南に逃れた755年から、家持が没する785年まで30年の間に、12回、16回、17回の遣唐使が帰国していますので、そのどれかで誰かが伝えたのでしょう。いまでいえば本場ニューヨークで流行っている最新のヒットソングみたいなものだったでしょうから。

松島の夜→『楓橋夜泊』→鵲の歌→大伴家持とつなげておくと、つぎの石の巻にうまくイメージがつながります。そのことは石の巻の段で。

2021年5月26日水曜日

はなれて奏でる(4)


 はなれて奏でる。こんかいは時空とも大きくはなれた中国古代の大詩人たちと奏でる。-出会うことのない二人の出逢い。運命の歯車が、いま動き出す(『君の名は。』)。みたいな。

 写真は、寺社建築を手がける知人の社長さんがSNSに投稿していたもの。茶室の写真を見るだけでも、背筋が伸び心が澄む感じがします。掛け軸になんと書いてあるか読めますか。

 「行きては水の窮まる處」

 「座しては看る雲の起きる時」

盛唐の詩人、王維の「終南の別業」の一部です。

 中歳 頗る道を好み

 晩に南山の陲に家す

 興来たれば毎に独り往き

 勝事空しく自ら知る

 行きては水の窮まる處

 座しては看る雲の起きる時・・・

50歳くらいから山歩きを再開し、山にハマった自身の心境にこれほどピッタリな詩はありません。

 さてつぎは絵本。読んだことありますか。シュルヴィッツの『よあけ』。

夜明け前の閑かな湖のほとり
月が湖を照らし山々は漆黒
そこにいま朝が訪れる・・・

これも唐代の詩人・柳宗元の詩「漁翁」から。

 学生時代にマーラーの交響曲をよく聴きました。長大な曲が多いなか、第1番「巨人」、第4番のつぎに聴きやすいのが9番目の交響曲「大地の歌」。

 Dunkel ist das Leben, ist der Tod!(生は暗く、死もまた暗い!)

歌曲のような交響曲で、ベートヴェンの第9のように歌がついています。これも原詩は漢詩であると知っていましたか。ぼくは最近知りました。

第6楽章まであり、李白の「悲歌行」、銭起の「效古秋長」、李白の「宴陶家亭子」、同「採蓮曲」、同「春日酔起言志」、孟浩然「宿業師山房待丁大不至」・王維「送別」を原詩としているそうです。

時空を超えてマーラーにたどりつくまでに、複数の詩人がアレンジを加えています。そのため対応関係がはっきりしないものもあり、原詩としているというのはそういう意味です。

 きょう最後に紹介する漢詩は、張継の「楓橋夜泊」。わが事務所から歩いて3分、西鉄通りにある中華料理屋・大京園の壁に拓本がかかっています。

 月落ち鳥啼いて 霜天に満つ

 江楓漁火 愁眠に対す

 姑蘇城外 寒山寺

 夜半の鐘声 客船に到る

さすが西鉄通り、中華料理屋にも文化の香りが。そうと知れば、なにげない定食の味にもハーモニーが生まれます。

 「分かる」とは、Aと非Aを分けること。しかし、さいきんは、まったく無関係だと思っていたAとZがつながったときも「分かった!」と思うことが増えました。

あれれ。きょうは芭蕉まで話がたどりつけず。ではまた。