2021年5月26日水曜日

はなれて奏でる(4)


 はなれて奏でる。こんかいは時空とも大きくはなれた中国古代の大詩人たちと奏でる。-出会うことのない二人の出逢い。運命の歯車が、いま動き出す(『君の名は。』)。みたいな。

 写真は、寺社建築を手がける知人の社長さんがSNSに投稿していたもの。茶室の写真を見るだけでも、背筋が伸び心が澄む感じがします。掛け軸になんと書いてあるか読めますか。

 「行きては水の窮まる處」

 「座しては看る雲の起きる時」

盛唐の詩人、王維の「終南の別業」の一部です。

 中歳 頗る道を好み

 晩に南山の陲に家す

 興来たれば毎に独り往き

 勝事空しく自ら知る

 行きては水の窮まる處

 座しては看る雲の起きる時・・・

50歳くらいから山歩きを再開し、山にハマった自身の心境にこれほどピッタリな詩はありません。

 さてつぎは絵本。読んだことありますか。シュルヴィッツの『よあけ』。

夜明け前の閑かな湖のほとり
月が湖を照らし山々は漆黒
そこにいま朝が訪れる・・・

これも唐代の詩人・柳宗元の詩「漁翁」から。

 学生時代にマーラーの交響曲をよく聴きました。長大な曲が多いなか、第1番「巨人」、第4番のつぎに聴きやすいのが9番目の交響曲「大地の歌」。

 Dunkel ist das Leben, ist der Tod!(生は暗く、死もまた暗い!)

歌曲のような交響曲で、ベートヴェンの第9のように歌がついています。これも原詩は漢詩であると知っていましたか。ぼくは最近知りました。

第6楽章まであり、李白の「悲歌行」、銭起の「效古秋長」、李白の「宴陶家亭子」、同「採蓮曲」、同「春日酔起言志」、孟浩然「宿業師山房待丁大不至」・王維「送別」を原詩としているそうです。

時空を超えてマーラーにたどりつくまでに、複数の詩人がアレンジを加えています。そのため対応関係がはっきりしないものもあり、原詩としているというのはそういう意味です。

 きょう最後に紹介する漢詩は、張継の「楓橋夜泊」。わが事務所から歩いて3分、西鉄通りにある中華料理屋・大京園の壁に拓本がかかっています。

 月落ち鳥啼いて 霜天に満つ

 江楓漁火 愁眠に対す

 姑蘇城外 寒山寺

 夜半の鐘声 客船に到る

さすが西鉄通り、中華料理屋にも文化の香りが。そうと知れば、なにげない定食の味にもハーモニーが生まれます。

 「分かる」とは、Aと非Aを分けること。しかし、さいきんは、まったく無関係だと思っていたAとZがつながったときも「分かった!」と思うことが増えました。

あれれ。きょうは芭蕉まで話がたどりつけず。ではまた。

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