2021年5月19日水曜日

信夫の里・しのぶもぢ摺りの石(5)

 


河原左大臣と虎女の話を読んで、どこかで聞いたことがあると思いませんでしたか。浅香山のところで紹介した葛城王と采女の話に似ていますね。変奏されたのかもしれません。

河原左大臣の歌はさらに変奏されています。『伊勢物語』の初段です。芭蕉の頭のなかの歌枕の理想郷には、当然この話も燦然と輝いていたと思います。いわく。

 むかし、男、初冠して、奈良の京、春日の里に、しるよしして、狩にいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みにけり。この男、かいま見てけり。思ほえず、古里に、いとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。男の着たりける狩衣の裾を切りて、歌を書きてやる。その男、信夫摺の狩衣をなむ、着たりける。
 春日野の若紫の摺衣 しのぶの乱れかぎり知られず
となむ、おいづきて言ひやりける。

『伊勢物語』の主人公である「むかし男」のモデルは、いろいろなエピソードが共通であることから在原業平とされています。かれが成人して狩りに行き、初恋をしてしまったときに来ていた着物が信夫摺だったというのです。

とはいえ、在原業平の生まれが822年、源融のそれが825年ですから、むかし男のほうが3歳年長です。これだけだと、どちらの話が先行しているか分かりません。しかし、『伊勢物語』のつづきにこうあります。

・・ついでおもしろきことともや思ひけむ、
 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにしわれならなくに
といふ歌の心ばへなり。

河原左大臣の歌の趣向を踏まえての行動だというのです。『伊勢物語』の初段が河原左大臣の歌の変奏であることは明らかです。

さらにこの初段、どこかで読んだことありませんか。あさきゆめに見たような・・。そう『源氏物語』ですね。

まず『帚木』の段冒。

・・大殿には絶え絶えまかで給ふ。忍ぶの乱れやと、疑ひ聞ゆることもありし・・

大殿は源氏の義父である左大臣家。源氏は娘のもとには新婚早々ときどきしかやってこない、これはどこかで忍ぶの乱れの恋におぼれているのではないか、と疑われててしまう。左大臣の頭のなかでは、『伊勢物語』の初段、さらには源融の歌が思い浮かべられています。

つぎに『若紫』。当時の感染症に罹患した源氏は治療のため北山を訪れます。その地で、かれは大好きな藤壺そっくりな美少女を垣間見てしまいます。

夜目・遠目・傘の内、いまならマスクの内。男性は「ちら見」に弱い生き物です。そのようにプログラミングされているのですねぇ。

垣間見は、垣根の間から屋敷のなかを見る行為。これも「ちら見」の一種。むかし男・在原業平も、源氏もこれで恋に落ちたんですねぇ。

これにとどまらず、『源氏物語』による『伊勢物語』の変奏は随所に見ることができます。紫式部も幼いころから『伊勢物語』を愛読したんでしょうね。みなさんが『あさきゆめみし』を愛読されたように。

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