浅香山で花かつみをさがしあぐね、芭蕉はあきらめて福島に向かいました。途中、二本松より右に切れて、黒塚の岩屋を「一見」しています。
芭蕉は触れていませんが、黒塚については謡曲があります。曲名は「黒塚」もしくは「安達原」です。
熊野山伏の祐慶がワキです。例によって諸国をめぐって修行中、安達原で日が暮れてしまいました。しかたがないので野中のぽつんと一軒家に宿を請います。
あるじの女は薪を採りに山に出かけます。出がけに、決して閨(寝室)を見るなと言い残して。にもかかわらず、山伏の従者が閨を見ると死骸の山。あわてて逃げ出すと鬼女が追いかけてくる・・という話です。
この鬼女伝説はふるく王朝時代にはあったようです。この鬼女伝説をもとにした歌を平兼盛が詠んでいるからです。
兼盛は白河の関で、すでに登場しました。その時の歌はこれでした。
たよりあらばいかで都へ告げやらむ 今日白河の関は越えぬと
百人一首にはつぎの歌が採られています。
しのぶれど色にいでけりわが恋は 物や思ふと人のとふまで
その兼盛には友人がいました。源重之です。重之は藤原実方とも仲がよかったようで、実方が陸奥に下向した際、いっしょに行ったようです。重之も百人一首に歌が採られています、つぎの歌です。
風をいたみ岩うつ波の己のみ くだけて物を思ふころかな
ふたりとも歌もうまい、女にももてるというライバルどうしだったようです。一方の重之は、父が安達原に土着し、たくさんの妹がいました。これを知った兼盛がひやかしに詠んだのが次の歌でした。
陸奥の安達原の黒塚に 鬼こもれりといふはまことか
兼盛がこんな歌を詠んだのは、重之の妹たちに下心があったことはもちろんでしょうが、ふたり共通の認識として鬼女伝説がすでに存在したからです。
兼盛による「まことか」という質問に対する答えが謡曲の「黒塚」「安達原」という趣向になっています。「まことだよ」ということです。
子どもが小さいころ、「みるなのくら」という絵本を読み聞かせていました。福音館書店刊、おざわとしお再話、赤羽末吉画の美しい絵本です。
ある貧しい若者がうぐいすの声に誘われて山奥に迷い込み、美女がもてなす。その屋敷のくらを見るなと言われたにもかかわらず、男は見てしまう・・。
再話というからには、いまもそのような伝説が残っているということです。いまも昔も、女に見るなと言われて、それを守れた男はいません。見るなと言われると条件反射的に見てしまう、男はそのようにDNAにプログラムされているのです。
昔話「鶴の恩返し」もそうです。昔話は、「見るな」と言われたのに見ると怖い目にあうよという、男に対する教えなのでしょうか。むしろ、バカな男に「見るな」と言っても無駄だよという、女子に対する教えではないでしょうか。あはは。
李白・杜甫や先輩歌人たちには言及していますが、芭蕉は謡曲にはまったく触れていません。なぜでしょう。じぶんが謡曲中の諸国「一見」の僧そのものであるとの認識だったからでしょうか。
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