2021年5月25日火曜日

はなれて奏でる(3)


 はなれて奏でるといって、まっさきに思い浮かぶのは、『伊勢物語』東下り、隅田川の渡し(9段の3)。隅田川の都鳥(ユリカモメ)を見て、都を思いやります。

なお行き行きて、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。それを隅田河といふ。その河のほとりにむれゑて、思ひやれば、かぎりなく遠くも来にけるかな、・・みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。

さるをりしも、白き鳥の、はしとあしと赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」と言ふを聞きて、

 名にし負はばいざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと

と詠めりければ、舟こぞりて泣きにけり。

おくのほそ道でも、江戸から旅先を、また旅先から江戸を思いやる場面がいくつかでてきます。

まず冒頭、旅をあこがれ。

春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神のものにつきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず・・・

千住までの見送り。

むつまじき限りは宵よりつどひて、舟に乗りて送る。千住といふ所にて船を上がれば、前途三千里の思ひ胸にふさがりて、幻の巷に離別の涙をそそぐ。

 行く春や鳥啼き魚の目は涙

これを矢立の初めとして、行く道なほ進まず。人々は途中に立ち並びて、後影の見ゆるまではと、見送るなるべし。

草加の宿での物思い。

痩骨の肩にかかれる物、まづ苦しむ。ただ身すがらにと出で立ちはべるを、紙子一衣は夜の防ぎ、浴衣・雨具・墨・筆のたぐひ、あるはさりがたき餞などしたるは、さすがにうち捨てがたくて、路次の煩ひとなれるこそわりなけれ。

そして武隈の松を見て。

 武隈の松見せ申せ遅桜

と、挙白といふ者の餞別したりければ、

 桜より松は二木を三月越し

挙白は芭蕉のお弟子さんで陸奥出身ではないかといわれています。その人が餞別に送った句。みちのくの遅桜よ、うちの師匠に武隈の松の姿をお目にかけなさい。それに対し、芭蕉は現地で返しの句を詠む。はなれて奏でる師弟愛。

また松島の夜。

予は口を閉ぢて眠らんとしていねらず。旧庵を別るる時、素堂、松島の詩あり。原安適、松が浦の和歌を贈らる。袋を解きて今宵の友とす。かつ、杉風・濁子が発句あり。

おくのほそ道の旅は、芭蕉の孤高の精神から発したものだったでしょうが、芭蕉を慕うお弟子さんたちとの暖かい心の交流という支えがあってこそという一面もあったようです。

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