2021年5月27日木曜日

はなれて奏でる(5)


  「おくのほそ道」の有名な冒頭

 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。

よく言われるように、李白の詩「春夜 従弟の桃花園に宴するの序」を下敷きにしています。  

 夫れ

 天地は 万物の逆旅なり

 光陰は 百代の過客なり

ここから芭蕉が旅へ誘うのに対し、李白はやっぱり宴に誘います。嗜好の違いですからやむを得ません。

 「おくのほそ道」の末の松山の段。

 末の松山は、寺を造りて末松山といふ。松の間々皆墓原にて、翼を交はし枝を連ぬる契りの木も、つひにはかくのごときと、悲しさもまさりて、塩竃の浦に入相の鐘を聞く。

 これは白居易の「長恨歌」から

 天に在りては願わくは比翼の鳥となり

 地に在りては願わくは連理の枝とならん

玄宗と楊貴妃がモデルで、永遠の愛を誓う言葉。比翼連理という四字熟語になっています。ただし、いまの若い人に言っても、怪訝な顔をされるでしょう。

 これもまた有名な平泉の段。

 さても、義臣すぐってこの城にこもり、功名一時の叢となる。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と笠うち敷きて、時の移るまで涙を落としはべりぬ。

 これは杜甫の「春望」から。

 国破れて山河在り

 城春にして草木深し

 時に感じては花にも涙を濺ぎ・・・

 むすびは、松島とならぶ絶景といわれた象潟の段。

 俤松島に通ひて、また異なり。松島は笑ふがごとく、象潟は憾むがごとし。寂しさに悲しみを加へて、地勢魂を悩ますに似たり。

 象潟や雨に西施がねぶの花

西施は中国絶世の美女の名。李白が好んで詩の題材としました。

 ここでは再度、先に紹介した白居易の「長恨歌」から。

 太液の芙蓉 未央の栁

 芙蓉の面の如く 栁は眉の如し

 此に対して如何ぞ涙の垂れざらん

 また蘇軾の「湖上に飲す 初めは晴れ後に雨ふる」から。

  山色空濛として 雨も亦奇なり

  西湖を把って西子に比せんと欲すれば

  淡粧濃抹総べて相宜し

 芭蕉の頭のなかでは、時空をへだてた李白や杜甫とも詩のハーモニーが奏でられていたことでしょう。が、漢詩の素養に乏しいわれわれの頭のなかで、芭蕉ほどにはハーモニーを奏でていないのではないかと心配です。

0 件のコメント:

コメントを投稿