(天神に咲いている橡の花)
(ハイデルベルクで咲いていたマロニエの花)
(栗の花)
(栗斎宅跡の句碑)
(宝満山登山道の句碑)
ちくし句会には、あの連歌屋の住人も参加しているとか。同行トミーは苦吟しているようなので、ひとり先に進みます。
須賀川の宿のかたはらに、大きなる栗の木陰を頼みて、世をいとふ僧がありました。その名も栗斎さんといい、等窮さんの友人です。
街中で生活しながら世を厭い自由に生きる、こういう生き方に芭蕉はあこがれています。いまでいう清貧の思想や断捨離の先駆者です。お金や物、人付きあいと距離をおいて、精神的な自由を獲得しようとする生活です。
ここで芭蕉は尊敬する旅の先輩歌人、西行をふたたび召喚します。
山深み岩にしただる水溜めむ かつがつ落つる橡拾ふほど
トチの実がかつがつと落ちてくる、その実を拾う間に岩にしたたる水を溜めよう、その水は山が深いのでしたたってくるのだ。-おもしろくてしかも心ことに深き歌です(後鳥羽院)。
橡(トチ)といわれるとピンとこないかもしれませんが、いま天神にいくとたくさん咲いています。栃木県という県名までありますから、昔はとても馴染みのある木だったのでしょう。ただし、いま天神に咲いているのは西洋トチノキで、紅花です。
西洋トチノキというとピンとこないかもしれません、いわゆるマロニエの木です。マロニエというとパリのシャンゼリゼ通りの街路樹が有名、でも探しだせなかったのでハイデルベルクのものを貼り付けておきます。
マロニエというぐらいだから、マロン(栗)に似た実がなります。不作の年にこれを食べたという説もあれば食べられないという説もあります。すくなくとも日本のトチの実は栃餅にして食べています。西行も食べるために拾ったのでしょう。
栗といふ文字は、西の木と書きて、西方浄土に便りありと、芭蕉はものに書き付けました。芭蕉が書いたからには駄洒落ではありません。
漢字を分解して楽しむやり方は芭蕉の発見ではありません。みなさんご存知の百人一首にもこんな歌があります。
吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ
文屋康秀
嵐という文字は山に風と書くからです。百人一首に歌がとられているからには、やはり駄洒落ではありません。
さらにさかのぼって行基菩薩も、西方浄土に便りありと信じて、杖にも柱にも栗の木を用ゐたまふとかや。行基さんは社会運動の先駆者です。国が僧に対し民衆への布教を禁止していた時代に、禁を破って仏教を説き、社会事業を各地で行いました。ついには、その功績が認められ、聖武天皇から大仏造立の責任者に任命されました。もはや爪のアカは残っていないでしょうから、それを煎じて飲むことはできませんが、威徳を慕って栗の木の杖を使うことはできそうです(インターネット通販で売っています)。
そして一句。
世の人の見付けぬ花や軒の栗
お金や世俗のことに心を奪われている世の人々には栗の花の価値は分からない。栗斎のように、世間の喧噪を離れ、心の自由を獲得する境地に達したいものだ。
この句碑が須賀川の栗斎宅跡にあるのはわかります。しかしなんと、太宰府は宝満山の登山道の脇にもこの句の碑があります(中宮から100メートルくだったところ)。なぜでしょう。芭蕉は九州には来ていません(忍者だったという説もあるので、お忍びできたのかもしれませんが)。
前に書いたとおり、江戸時代、宝満山中では多くの行者が民衆を救うべく修行をしていました。その人たちが、自分たちの修行は世の人の知るところではないものの、志高く修行をつづけようという趣旨で、建立したのではないでしょうか。
われわれも栗斎、行基、宝満山中の修行者ら諸先輩に見習いたいものです。